城郭探訪

yamaziro

中野城   近江国(虎姫)

2016年09月15日 | 陣城

お城のデータ 

所在地:長浜市(旧東浅井郡虎姫町)中野 map: http://yahoo.jp/Z1u6Cu
区 分:陣城
現 状:平地+山地・山林・山麓
築城期
築城者:
遺 構:
目標地:時游館
駐車場:時游館
訪城日:2016.1.10・2016.3.20,

お城の概要

比定地は、虎御前山魂の南山麓に、中野集落に位置する。

お城の歴史

詳細不明だが、『江北記』に「長享元年四月三日に大成濃州より入国候。陣所は中野・・・中野より人数と於国友河原被及御合戦数多被討補候。即刻中野へ御馬を被向」と記す。 

参考資料:『滋賀県中世城郭分布調査』1、遺跡ウォーカー、『江北記』
本日の訪問ありがとうございす!!
 

旧・高島・滋賀・栗太郡:近江の国にはどれ位のお城があったのか?(全国に2万5千あったらしい?)

2016年09月15日 | INDEX

高島郡 マキノ町 6

安土城・奥田城・白谷館・山中館・牧野城(栗瀬城)・野口城・小荒路の遺構・小荒路館・小荒路の遺構・海津山城・海津東内城・海津願慶寺城・海津(海津西内・海津東)城知内浜城(知内城)西浜城 ・西浜砦・中庄浜城・中庄城・沢村城(饗庭氏館)田屋城  田屋城中ノ谷(馬かけ場)の遺構長法寺館(田屋氏館) 長法寺館(田屋氏館)・知内浜城・石庭城蛭口館・新保城・森西城・角川館・角川(丸山)城砦・薬師堂遺跡・野口館・寺入保館・
西 与一左衛門と海津浜

高島郡 今津町 5

伊井城(鑓城(やじろ)・今津城・構(かまえ)城・高田城(高田館)・三谷城・角館・北仰城・角川砦(丸山砦)・中之町城・河上城・
仮称)井伊支城・砦(伊井奥ノ城)

高島郡 朽木村 4

   朽木本陣(朽木城) 朽木城(朽木陣屋) 岩神館(秀隣寺庭園) 岩神館西山城・野尻坂砦 ・坊殿館・桑野館・村井城

   池ノ沢の遺構・涌出館・大野館・入部谷城

  ・信長の隠れ岩 信長の隠れ岩

高島郡 安曇川町 

高島郡 高島町 8

伊黒城打下(うちおろし)城長法寺(城)遺構大溝城 大溝城 ・大溝陣屋武曽館横山城宮野城永田城・長法寺北遺構・白髭のA遺構・白髭のB遺構・白髭のⅭ遺構・白髭のⅮ遺構・
大溝城発掘調査現地説明会

高島郡 新旭町 6

五十川(いかがわ)城清水山城 清水山城(日高山城・比叡谷城)新庄城(大善寺遺構)日爪城(日爪城山)日爪の遺跡(南谷遺構=日爪のねごや)平井城吉武城(針江城)・今宿城・森館・深溝城饗庭(あいば)館井ノ口館(清水山城館)・麻畑の遺構・大善寺遺構・今市城・新庄城(大善寺遺構)・清水寺の遺構・地蔵谷の遺構・御屋敷遺構・

滋賀郡 志賀町 7

大津市 42

草津市 14

守山市 13

栗東市 25/29

野洲郡 中主町 8/12

 

野洲郡 野洲町 19/28


旧坂田・東浅井・伊香郡:近江の国にはどれ位のお城があったのか?(全国に2万5千あったらしい?)

2016年09月15日 | INDEX

坂田郡 米原町 

朝妻城(朝妻湊)磯山城/虎が城磯城鎌刃城 鎌刃城 鎌刃城 鎌刃城見学会醒井城・醒ヶ井神籠石・地頭山(ぢどうやま)城枝折(しおり)城(土肥城)番場城殿屋敷福島城 福島城太尾山城西円寺館醒井山城上野館門根城六波羅山(ろくはらやま)砦

坂田郡 山東町 20/53

・池下城・大野木館大原氏館・大峰砦・柏原城柏原御殿猪鼻城(河内城)上平寺館(京極氏館)西山城(城山城・源氏山の遺構)須川城須川山城須川山砦長比城(野瀬山城)高屋城高屋砦・長岡館・本郷城 本郷城箕浦氏館八講師城(八講師砦)梓の関・石田館・野一色城・夫馬館・本庄中村城・村居田館・油里城・堂谷西の砦(岩祖山城)・美濃こえ(山の神)遺構・堂谷東山砦・千畳敷東の遺構・千畳敷砦・滝ヶ谷城・小田城・市場城・黒谷遺跡・間田城・堀氏館・竹越氏館・向山の砦・竜宝院の関連遺構・総山城・井ノ口城・大庭還・鳥脇還・常谷城・年吉(としみ)城・殿村氏館・長岡城(京極氏館・加賀屋敷)・旗本西郷氏邸小川(こかわ)の関箕浦氏館
新発見『焼尾茶屋城』新発見『白鳩城』

坂田郡 伊吹町 

向山城治山城・天清城・河瀬館・弥高寺城上平寺城(桐ヶ城) 上平寺城(桐ヶ城・霧ヶ城・刈安尾城)上平寺屋敷(京極氏屋敷) 上平寺館(京極氏館)・太平寺館・太平寺城(霧ガ城)

 

坂田郡 近江町 

顔戸山砦・飯村城(嶋氏館)・多和田山城・福田寺長沢城 長沢城箕浦城(新庄城)若宮城(若宮氏館)宇賀野長野家 宇賀野長野家宇賀野館三田村屋敷寺倉城世継館岩脇(いわぎ)館

長浜市 

横山城石田館(石田屋敷)・今川城・今村城・榎木城・垣見氏館加田七殿屋敷(加田館・七殿屋敷)・加納城・上坂城・小足館・三田村城下坂氏館(下坂館)・十里館・常喜城・長浜城(湖中城) 長浜城・名越館・八幡山中館・広瀬氏館・堀部山城・小堀氏館・堀部館・南田付城・宮川陣屋(宮川氏館)宮川陣屋(宮川氏館)横山城 ・室町城居立城鳥羽上城国友城 山室砦(名越ごえの山城)姉川の合戦茶臼山砦姉川の合戦信長本陣「陣杭(じんご)柳」姉川の合戦家康本陣岡山(勝山)姉川古戦場浅井長政と陣田・血川・野村新庄寺城馬場城口分田(くぶた)古殿城口分田(くぶた)城ノ根城(口分田氏館)

東浅井郡 浅井町 

  大依山城瓜生館(海北氏館)・主計館・木尾城・草野城小室城・佐野館・須賀谷館尊勝寺城(多賀古屋敷)・種路城・野田館・丸山城・三田村城大田館(赤田氏草野田館)西村館 尊野城平塚城(平塚館)内保城瓜生館(海北氏館)田根城東出館北野砦北野館竜安寺山城黒部館黒部砦竜安寺城長泉寺館

東浅井郡 虎姫町 8/12

大井城月ヶ瀬城宮部城(宮部砦)八相山城滝川陣屋(滝川氏館)三川城唐国城大寺城・田村城・中野城・彦部氏館・

東浅井郡 湖北町 

山本山城・山本氏館・浅見氏館・朝日山陣屋・月所丸大嶽(おおずく)城福寿丸山崎丸・海老江館・小倉館・伊部館・今西館・今村館・大野木氏館・尾上城小谷城 小谷城 小谷城~水の手道から京極丸へ焼尾砦・佐野城・城山城・田中館・虎御前山(砦)・速水館・雲雀山砦丁野館山脇城/山脇砦・渡辺氏館、丁野山城 丁野山城中島城八幡の岡陣城・河毛城・芝山城(芝山古城)・下山田城・高田館(渡辺氏館)・田中館・種路城・丁野城・脇坂館・比伎多理神社遺構・大興(光)寺・八太夫屋敷・延勝寺館(飯開(いびらき)神社遺構)・猫今城(今村館)・速水城(西の宮館)南速水城(伯母屋敷)雲雀山砦・二俣館・馬渡城・薮田城・山脇屋敷(佐野城)・高月城・西野城・高田館(渡辺氏館)

東浅井郡 びわ町 4/15

安養寺城 安養寺城・落合城・川道城・曽根城・富田城・錦織城・新居城・南浜城・早崎城・細江城・下八木城・弓削城・益田城八木浜城(中村氏屋敷)

伊香郡 高月町 

磯野山城大森山城陣所赤尾山城・井口城・磯野館宮沢城・森本館・持寺館・柏原城・唐川城・宇根館・柏原城・片山館・陣屋の馬場城・高田城・高月城・富水館・西阿閉城・西野城・西物部城東柳野城西柳野館・保延寺館・馬上城・馬上山城・熊野城・松尾山城・横山城高野館

伊香郡 木之本町 

田上山城(砦)(木之本城)赤尾氏館赤尾城丸山城大音(おおと)館・川合城・小山館・杉野館・田居前館・菅山寺城・木之本城・黒田屋敷 黒田 官兵衛(黒田屋敷)賤ヶ岳城仮)西山砦賤ヶ岳砦 賤ヶ岳合戦と城郭 賤ヶ岳古戦場・千田城・田部山城/田部城仮称西山砦・西山城・布施城・古橋城・石田三成の隠岩窟(オトチ洞窟)・飯浦山城(位置不明)・法華寺遺構・飯福寺遺構(鶏足寺別院)・古橋裏山遺構

伊香郡 余呉町 

玄蕃尾城(内中尾山城)・秋葉超え遺構・秋葉神社砦・高尾山砦・イ地点遺構・ロ地点遺構・峰通りP地点遺構・峰通りℚ地点遺構・峰通りℝ s地点遺構・溝谷砦・余呉館・大谷山砦・笠上城・柏谷山砦(1の砦)・雨森城・池原山砦・芝上城・川並城・坂口砦・行市山砦・下余呉砦・神明山砦 神明山陣城(大杉山砦)天神山砦神明山砦今市上砦(久太郎小屋)東野山砦=陣城(実山砦=左禰山砦)菖蒲谷砦茶臼山砦城堂木山砦 堂木山砦(堂木山陣城)橡谷(くぬぎたに)山砦中谷山砦林谷山砦東野館別所山砦山寺山砦・柳瀬城・摺墨越え遺構菅山寺城・官山寺遺構・茂山陣所と権現坂・賤ヶ岳砦・角鹿山遺構・大将宮山遺構・椿坂遺構・大岩山砦(陣城) 大岩山砦(陣城)岩崎山砦 岩崎山砦・植谷山城-坂口(余呉合戦記)・大野路山城-(余呉合戦記)・河置山城-(江余)・谷山城-(江余)・丸山城-(江余)・
・岩崎山の大岩(烏帽子岩・お膳岩伝説)

伊香郡 西浅井町 

塩津城山城(塩津城)塩津城(大平山城・山麓遺構)塩津浜城(塩津浜山城)塩津城東出丸塩津城出丸(祝山(ほおりやま)城)西岡城集福寺若山城・永原城・沓掛北砦沓掛南砦沓掛(くつかけ)西砦(集福寺北城)応昌寺城(応正寺城)・岩熊城・月出坂砦/月出浜砦・深草越え遺構
菅浦惣村葛籠尾崎湖底遺跡

 

伊勢国
伊賀国
美濃国

越前国

 戌山城跡村岡山城疋壇城(疋田城) 


延勝寺館(飯開(いびらき)神社遺構) 近江国(湖北)

2016年09月15日 | 平城

お城のデータ

所在地:長浜市(旧東浅井郡)湖北町延勝寺 map:

別 称:延勝寺館

区 分:平城

現 状:神社

築城期:室町期

築城者:

遺 構:堀・土塁・曲廓・

目標地:飯開神社

駐車場:飯開神社に路上駐車

訪城日:2016.9.9

お城の概要

「滋賀県中世城館調査報告」によれば、飯開神社一帯に三つの曲輪らしき遺構を持つ。神社境内・東側・そして北東隅に

境内の南側に水路(堀・池)があり、北東部と境内の東隣の竹藪には土塁の土盛がある。周囲より若干高い地形ではある。

お城の歴史

『江州佐々木南北諸氏帳』には、「浅井郡 延勝寺 住 日下善介・関谷宇平次・佐々木京極隋兵大塚末 川上長門守・佐々木浅井隋兵安芸守ト云 大橋善次郎」の名が見える。  

飯開神社 御由緒
当社の地域は都宇郷に属し、この郷の総社として信仰の中心であった。往古湖中に在るオコノ州に鎮座されていて境内には多くの大木が生い茂っていた。正暦3年の大洪水でオコノ州は湖底に沈み神社は流出して御神体は当地の野田浜に流れつかれたといわれている。この神迎へに神輿が担がれ途中今西のお旅所で御休息になり、夢の告げで現在の地に奉斎することになった。 社殿の造営は大治5年といゝ伝えている。
 鎌倉時代源頼朝の下知により荘園内の虫供養が行われ、当社に五十石が下附されそれ以来6月6日を虫供養の日と定め現にこの祭儀は存続している。小谷城主浅井家三代の崇敬篤く元亀元年長政は祈願を捧げ大刀並に躑躅胴鼓を寄進している。小谷城落城の際兵火に遭ったが、宝永3年代官西郷市正社殿再建の大施主となって再建した。

飯開神社には応永11年(1405年)の朱書銘のある神輿が伝えられている。

境内東側の池(堀か?)

東側の土塁

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、『江州佐々木南北諸氏帳』飯開神社由緒

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江部城  近江国(野洲)

2016年09月15日 | 居館

江部城

お城のデータ 
所在地:野洲市(旧野洲郡野洲町)江部
区 分:平城
現 況:宅地
築城期:織豊後
築城者:江部氏
遺 構:
目標地:祇王寺
駐車場:北村自治会館横空きスペース
訪城日:2016.9.14
お城のデータ
 野洲の祇王寺の南へ約100mが遺跡ウォーカーの比定地にはなっているが?
お城の歴史
『近江国輿地志略』永原御殿跡の項に、「本は江部氏の者の居宅の跡といへり」とある。
 

土安神社
約八百年程前、江部の荘(現在の永原)の荘司で橘時長の娘、妓王と妓女は京の都へ出て平清盛に仕えていた。
ある時、妓王はふるさとの用水不足の嘆きを清盛公に申し上げたところ、さっそく、三上山の麓の野洲川より分水して水路を開通せしめた。工事の途中で蹉跌した時、夢に現われた一童子が、工事の手法を授けたことによって完成したもので、上流を妓王井川、下流を童子川と名づけ、この童子を土安神社に祀ったのであります。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査1・3、遺跡ウォーカー、『近江国輿地志略』
本日の訪問ありがとうございす!!

永原御殿 近江国(野洲)

2016年09月15日 | 陣屋

お城のデータ

所在地:野洲市(旧野洲郡野洲町、)永原 map:http://yahoo.jp/nK6-06

築城期:織豊期

築城者:徳川氏

区 分:御茶屋御殿(平城)

遺 構:土塁、堀、石垣、門(浄専寺に移築された永原御殿の移築門)

城 域:200m×200m

目標地:野洲北中学校

駐車場:永原御殿前駐車場

訪城日:2012.12.14・2015.3.28、2016.9.14

お城の概要

本丸は竹林となっている。 本丸を取り囲む水堀の一部と民家の畑の土台として石積の一部が残っている。

 城域は永原御殿一帯から野洲北中学あたりまでが城域とされます。

永原城として紹介されている。城址は御殿跡一帯から野洲北中学あたりまでが城域とされます。

 永原御殿は、慶長6年(1601)に徳川家康が最初に宿泊した。

永原御殿の歴史

 永原氏が室町中期に永原城(上永原城)を築城し、文明12(1480)年頃には永原越前守重秀が、筑前守重頼が活躍をした。佐々木六角氏の氏族永原氏の居城。 佐々木六角氏が織田信長に滅ぼされると、永原氏は永禄11(1568)年の織田信長近江侵略に、六角氏と共に永原氏も衰退した。永原氏は野洲・栗東・甲賀の一部にまで勢力を持っていた。元亀元(1570)年には織田信長の重臣・佐久間信盛がこの永原城に入城する、のち永原氏は信長に許しを得て復活。

 永原城廃城後、天正14(1586)年に信長後天下を支配した豊臣秀吉が、徳川家康に永原のこの地を与え、後の「大坂冬の陣(1614)」・「夏の陣(1615)」などで家康、秀忠らが利用した。徳川将軍の宿泊地として永原御殿が築城された。

江戸時代には将軍が上洛するおりの宿舎として「永原御殿」が築かれた寛永11年(1634)年に徳川三代将軍家光が上洛するにあたり6倍の規模に大改修を行うも、徳川将軍が上洛の必要が無くなり、家光が最後に幕命で、貞享3年(1686年)廃城となった。

・・・その後現在に至る。

 

 なお、永原御殿の移築門は、野洲市北町の「浄専寺」移築されている。 

 

移築門

永原御殿の移築門は、野洲市北町の「浄専寺」移築されている。

永原御殿の概要

永原御殿は御茶屋御殿の遺構です。御茶屋御殿(おちゃやごてん)とは徳川将軍が上洛(じょうらく)の際に整備した宿泊所を指し、近江には東海道に水口城が、中山道に柏原(かしわばら)御殿、朝鮮人街道に伊庭(いば)御殿が、そして中仙道と朝鮮人街道の近くに、この永原御殿が整備されました。1国(旧国)に4ヶ所も御茶屋御殿が整備されたのは近江だけです。これは近江が京都に近く、朝廷を牽制(けんせい)するのに最も適した所だったためでしょう。永原御殿を始め各御殿は、いずれも石垣や土塁(どるい)を用いた城郭の構造を示しており、御殿が、単なる将軍の宿泊施設だけではなく、有事に備えた軍事施設の性格を併せ持っていたことを示しています。幕藩体制(ばくはんたいせい)が確立した三代将軍以降、将軍上洛の必要性がなくなり、これらの御殿は役目を終え、廃されることになります。

永原御殿の特徴

 永原御殿(永原城)は、慶長6年(1601)に徳川家康が最初に宿泊し、以後、家康が6回、二代秀忠2回、三代家光が寛永11年(1634)に泊まったのを最後として、計10回利用されました。
 現在は、石垣の一部と塀の一部と地割が残るだけですが、「御茶屋御殿指図」(おちゃやごてんさしず)が残され、堀・土居・塀・石垣に囲まれた郭の四隅に矢倉を設け、本丸、二ノ丸、三ノ丸がありその広さは約1万459坪に及んだことがわかります。

1634年(寛永11年)には徳川家光の上洛に備え、大規模な整備が行われています。永原御殿の施設としては、    草津市の史跡芦浦観音寺の中にある、重要文化財の書院が、ここから移されたものであるとの記録があります。
 また、御殿の復原模型が野洲市歴史民俗博物館に展示されています。

遺跡名:永原御殿跡(ながはらごてんあと)所在地:野洲市永原

 

 参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、遺跡ウォーカー、現地説明板

  今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました!!