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平安の木炭墓群、有力者を埋葬? 滋賀・多賀で講演会(朝日新聞2013.9.18)
多賀町で5月に発見された平安時代の木炭墓群をテーマにした、NPO法人「自然と歴史ロマンの会」主催の講演会が15日、多賀町四手の町立博物館であり、考古学者の丸山竜平・元名古屋女子大教授(69)が被葬者像と、出土した鉄板について解説した。現場近くで見つかった平安時代の八稜(はちりょう)鏡についても報…
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平安後期の「木炭墓」11基出土 多賀の大谷遺跡 滋賀 (産経ニュース)2013.7.1
■有力者一族の墓所か
埋葬した木棺の周囲が木炭で覆われた「木炭墓」とみられる平安時代後期(11世紀頃)の墳墓跡が多賀町富之尾の大谷遺跡から11基まとまってみつかり、町立文化財センターが発表した。墓地の取得や被葬者などについて記した「墓誌」や「買地券」とみられる鉄製の板も4点出土し、同センターは「この地方を支配した有力者一族の墓所だった」とみている。
大谷遺跡は今年5月下旬、町道工事の際に大量の木炭が露出したため同センターが発掘調査し、遺跡として位置づけられた。これまでに400平方メートルの調査地内から、木炭墓とみられる遺構を11基検出した。大きいもので一辺1・2メートル、深さ1・3メートル程度の方形。このうち、4基から鉄板がみつかった。
木炭は吸湿性に富むことから、埋葬した遺骨や副葬品などの状態を維持するのに使われたと考えられる。鉄板に文字が書かれていたかどうかはエックス線調査でも判明しなかったが、同センターは「中国から伝わった埋葬の習慣である買地券だとすれば、中国文化に精通していた一族の墓所だったのではないか」としている。
元興寺文化財研究所(奈良市)の狭川真一研究部長は「立派な木炭墓が群をなし、複数の墓に買地券が納められた可能性があるなど、例えば犬上氏のようなこの地方に君臨した有力者の墓所だったと考えられる」と話している。
上御殿遺跡記者発表(2013年8月)資料
これまで、古墳時代前期の竪穴住居、古墳時代前期の石釧、奈良時代後半から平安時代初めにかけての建物・倉庫群、旧河道から奈良時代から平安時代の人形代、馬形代、斎串、陽物代などの木製祭祀具、「守君舩人(もりのきみのふなひと)」と書かれた墨書人名土器など興味深い資料が出土しており、これらの内容については、資料の提供、公開を行ってきました。
今年度 4,000 ㎡を対象とした調査で、国内初となる双環柄頭短剣(そうかんつかがしらたんけん)の鋳型が出土しました。双環柄頭短剣の鋳型は、全国的に類例がなく、さらに銅剣の出土の少ない近畿地方北部での鋳型の発見は、弥生時代から古墳時代初めにかけての青銅器生産の一端を明らかにする興味深い資料と言えます。
あわせて現地説明会配布資料もごらんください。
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- 講師は長谷川博美氏。速水大隅守居城に関して。