城郭探訪

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岩脇(いわぎ)館 近江国(米原)

2015年05月01日 | 館跡

岩脇館説明碑

お城のデータ

所在地:米原市岩脇町 (旧坂田郡近江町岩脇)  map:http://yahoo.jp/-HVq0n

区 分:平城

現 状:岩脇公民館

遺 構:碑・土塁・堀痕・岩脇山の西麓に「岩脇氏」墓石が残る。

築城期:室町期

築城者:岩脇氏

目標地:岩脇公民館

駐車場:岩脇公民館

訪城日:2015.4.25

お城の概要

かつての館跡も、今は公民館。集落周りに水路があり、堀跡か寒害・生活水路か。

公民館側、稲荷神社の敷地端に説明碑があります。

公民館周辺が館であったようですが今は遺構は無い。岩脇山の稲荷神社・善光寺岩屋善光堂周辺には土塁っぽいところもあります。岩脇山から顔戸山城が近くに見えます。

岩脇山の西麓に「岩脇氏」墓石がポツリと残る。


歴 史
朝妻街道(箕浦~朝妻湊)を抑える、豪族・岩脇氏の居館。東山道と北國街道の中間にも位置するため、室町時代には要衝の地だった。

今井氏の一族の岩脇氏の館とされます。

浅井氏家臣団の構成

浅井長政書状 下坂四郎三郎宛 (長浜市長浜城歴史博物館蔵)

小和田哲男氏によれば、戦国大名浅井氏の家臣団は、旧国人領主である上層家臣と、土豪である下層家臣に分かれていたと指摘されている。

上層家臣としては、磯野氏・上坂氏・赤尾氏・堀氏・今井氏・安養寺氏・三田村氏・雨森氏・海北氏・大野木氏が上げられている。彼らは京極氏家臣から、そのまま浅井氏家臣になった者が多い。

下層家臣に当たる地侍層は、村落領主であり土豪とも言われた。彼らは上層家臣に属する形で、いわゆる陪臣(ばいしん、家来の家来)として浅井氏に仕える形をとったと考えられている。 小和田氏は下層家臣の例として、坂田郡南部の天野川流域の土豪たち、岩脇氏・井戸村氏・嶋氏を上げている。彼らは上層家臣に当たる坂田郡箕浦(米原市箕浦)の今井氏に属する形で浅井氏に仕えた。

しかし、浅井氏家臣団の全体を見渡すと、上層と下層を明確に区分することは不可能であるとの見解もある。 それは、下層家臣である地侍が、浅井氏当主から直接、安堵(あんど)や宛行(あてがい)などの領地関係書状をもらい、感状(合戦参陣への感謝状)も得ている例も多いからである。

岩脇館跡


岩脇山の戦争遺産 (機関車壕) 

米原市岩脇の岩脇山は、戦争遺跡「列車壕(ごう)」が、太平洋戦争末期に二本の輸送の大動脈である東海道線及び北陸線の列車を引っ張る蒸気機関車を連合軍の空爆から守るために掘られた防空壕です。

 この岩脇山は岩盤が固く、その上当時は物量が乏しく、火薬、スコップ、ツルハシ、トロッコなどの手作業にため難工事であったことがうかがえます。

米原の列車壕

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、Wikipedia

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