城郭探訪

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日爪の遺跡(南谷遺構=日爪のねごや)   近江国(新旭)

2016年05月17日 | 城郭寺院

お城のデータ

所在地:高島市(旧:高島郡)新旭町饗庭日爪  map:http://yahoo.jp/Ki7VzN

別 称:南谷遺構(日爪のねごや)

現 状:山林

区 分:城郭寺院

築城期:室町期

築城者:地頭代 日爪右京介為治(西林坊)

遺 構:土塁・段遺構・説明板

標 高:155m 比高差:30m

目標地:日爪バス停・日爪区農村集落センター・慈恩寺

駐車場:日爪バス停

訪城日:2016.4.16・2016.5.15


訪城日:2016.5.15

日爪区農村集落センターに駐車



訪城日:2016.4.16

現地説明駒札には、『南谷遺構(日爪のねごや)』

 この地域には、「ねごや」の地名とともに坊跡と考えられる数段の平担地が残っていいて、西方の山の上には、戦国時代の山城跡が位置しています。ねごやの語源は、一般に「山の根にあること」や「寝るための小屋」と考えられています。

 応永二十九年(1422)に記された「木津荘検注帳」によると、この「南谷」には、西福寺という寺院があり、「西林坊」と「栄承坊」という寺坊があったことがうかがえ、伝承などからの、戦国時代には、山上の日爪城も含め饗庭三坊の内、西林坊との関わりが推測せれています。

 元亀三年(1572)に織田信長の命をうけた明智光秀は、饗庭三坊の三つの城を城下とともに放火し、攻略しており、日爪城はこの三つの城の一つに推測されてます。                高島市教育員会

お城の概要

「日爪のねごや」は、饗庭野と呼ばれる丘陵の山麓に築かれ、集落の南東に標高155m程の山麓位置する。 東麓の日爪の遺構(日爪のねごや)の共同墓地となっている部分が根小屋と呼ばれ10ヶ所以上ある、土塁などを設けた段遺構が残る。周辺には、「本堂ヶ谷」の地名だあり、石仏が出土することから寺坊の可能性が

 日爪城(標高207m」)への城道に、遺構や「祠・駒札」・「南谷遺構」の説明板があり、その山頂部が日爪城。

お城の歴史

『近江與地志略』には、日爪村内には、「高島七箇寺の一院の大慈寺」あったとされる。

 この地は保延4年に成立した山門領木津荘で(戦国時代は饗庭荘と呼ばれ)饗庭氏の西林坊・定林坊・宝光坊の三坊に分かれ、日爪は西林坊が領した。

 日爪氏は土岐氏を出自とする饗庭氏の一族で、貞治6年(1376)饗庭氏は日爪右京介為治を地頭代として日爪村に住まわせたと云われ、これが東山麓の根小屋付近は西林坊との伝承がある。

 元亀三年(1572)に織田信長の命をうけた明智光秀は、饗庭三坊の三つの城を城下とともに放火し、攻略しており、日爪城はこの三つの城の一つに推測されてます。

獣害ヘンスと開けて、入ると・・・

南谷遺構 日爪のねごやの駒札ある

さらに登ると「南谷遺構」説明板がある・・・日爪城は更に50m程上ある。

ここを登ると日爪城へ

日爪城から帰り道・・・「南谷遺構」

獣害フェンス

日爪集落に戻り『日爪区農村集落センター』

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査8、現地説明板、近江與地志略、近江山城ベスト50を歩く

 本日の訪問ありがとうございす!!


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