お城のデータ
所在地:草津市馬場町 map:http://yahoo.jp/Fyj-jD
区 分:丘陵城
築城期:戦国期
築城者:奥村氏
現 状:山林
標 高: 比高差:30m
遺 構:郭・土塁・虎口・碑
目標地:願信寺
訪問日:2015.6.30
お城の概要
道路脇の山裾に「奥村但馬守古城址」という石碑が建っています(城址碑は小さく草木に埋もれ分かり難いかも)。そこから10mも登ると虎口前の平坦地です。その背後の斜面が城跡である。
手前に井戸後のような低い土塁に囲まれた窪地もありました。すぐに虎口です。土塁に挟まれたりっぱな平虎口です。なかに入ると、郭内は広く50m四方はありそうです。虎口があるのに郭内で削平されているのは虎口付近だけです。
反対側まで行ってみますと低い土塁が巡り、一箇所後方の尾根に繋がっていますが、その先に遺構らしきものはないようです。
遺構は、上下二段の削平地からなり、上段は西面に大土塁を設け中央に平入りの坂虎口が開いている。南北側面も土塁と空堀で固めている。
しかし、背後の上方には防御施設がなく自然地形に溶け込んでいる。また、郭内も虎口から数mが削平されるのみで、奥は傾斜地となり、築城途中で放棄されたように思える。
下段は概ね削平され平坦であるが、僅かな切岸を設けるのみで土塁は伴っておらず、防御性は不十分である。こうした遺構の中で上段虎口の立派さだけが極端に目立っている。
歴 史
奥村但馬守古城趾と記された城址碑があり、同氏の旧居館である。
青地氏の家臣、奥村但馬守の屋敷があったと伝えられ、居城を移したため屋敷内の守護神は八幡宮神社に移され、村の人々が代々守ってこられました。
馬場町を見渡せる高台に願信寺があります。室町時代に創建され、江戸時代に入り願信寺と称されました。
青地氏は、佐々木氏支流の馬淵氏を祖とする。馬淵氏は、佐々木定綱の五男広定が蒲生郡馬淵庄を領して馬淵氏を称したことに始まる。この広定の四男基綱が鎌倉時代中頃に青地右馬助の養子となり青地氏を継ぎ、その子・忠綱がはじめて青地城を築き、近江源氏七頭の一人として湖南を支配したと伝えられる。しかし、青地氏の前身ははっきりしておらず、この地域が志津庄と呼ばれていたころの荘園領主とされる古代豪族小槻山君の荘園を預かる荘官を興起とするのでないかと思われている。
佐々木系になった青地氏は、金勝・田上・信楽方面と東海道・東山道、さらに琵琶湖岸の港を結ぶ交通の要衝を押さえ、また水利に恵まれた豊かな生産力を誇る領地を背景に勢力を振るい、忠綱の子・冬綱は近江守護代にもなり、佐々木六角氏一門の中でもとりわけ重きを成すようになっていった。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城
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