「近江守護佐々木秀義五男佐々木五郎隠岐判官義清城跡。元弘年中義清十一世孫佐々木兵庫頭清三再城跡。 義清領地故隠岐村名付山下一円門之内云々。」
ー 城跡に立つ大岡寺石柱裏の碑文 ー
所在地:滋賀県甲賀市甲賀町隠岐字門ノ内(大岡寺) map:http://yahoo.jp/472LQc
遺 構:郭、土塁、櫓台、空堀
現 状:寺地、山林
区 分:丘陵城
城 主:近江守護佐々木秀義五男佐々木五郎隠岐判官義清城跡。元弘年中義清十一世孫佐々木兵庫頭清三再城跡。
ー 城跡に立つ大岡寺石柱裏の碑文 ー
標 高:207m 比高差:20m
目 標:大岡寺
駐車場:大岡寺境内
訪城日:2014.5.27
佐治川の北岸の舌状部に築かれた隠岐城は、周囲の田圃との、比高差10m~30m。
隠岐支城群は佐治川の対岸に密集している、
歴 史
『甲賀郡志』によれと、城主は隠岐氏とある
隠岐家は、甲賀二十一家は、甲賀五十三家の中でも六角氏より感状を貰うほど信頼の厚かった二十一家の1つ。後の甲賀流忍術の中心となった家々である。
「近江守護佐々木秀義五男佐々木五郎隠岐判官義清城跡。元弘年中義清十一世孫佐々木兵庫頭清三再城跡。義清領地故隠岐村名付山下一円門之内云々。」
ー 城跡に立つ大岡寺石柱裏の碑文 ー
佐々木秀義(本名 源資長)は源為義の猶子。平治の乱後、近江佐々木庄領家・預所職を没官され、奥州藤原秀衡を頼り東下するも途中秀義の武勇に惚れていた相模渋谷庄司重国に引き留められ娘婿となる。子息たちも宇都宮朝綱・渋谷重国・大庭景親などの豪族級東国武士の娘婿になった。
佐々木義清の子孫は隠岐・出雲の守護職を世襲し、鎌倉幕府の有力御家人として地歩を固めた。義清孫の秦清の子息のとき義清流佐々木氏は二流に別れ、次男時清は隠岐守護職を継承し隠岐佐々木の祖となり、三男頼秦は出雲守護職を継承し塩冶氏の祖となった。
元弘年中(1331~33)といえば南北朝期であろうか、清三が城として再び要害化したようだ。
北近江半国守護京極氏の重臣たる隠岐氏の城跡は、今は寺院になっており、僅かに全面に残る土塁の残片と削平地のたたづまいが当時を偲ばせている。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城
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