陣屋跡に建つ稲荷神社
金堂陣屋は近江商人発祥の屋敷跡が残る五個荘町金堂の一画にある。通りの名前も陣屋通りといい、陣屋の跡地には稲荷神社が祀られている。
陣屋跡地の大半は外村繁邸屋敷になってしまっている。
陣屋の表門が近くの勝徳寺の表門として改修されて残っている
陣屋の表門が近く 貞享2年(1683)に本多忠平が大和郡山藩主として入封した時、近江国内で4万石が所領が与えられた。
このうち、蒲生,神崎,坂田三郡の所領を管理するため、陣屋がおかれた。
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陣屋には代官1名、手台2名、書役1~2名が常駐し郡山藩士が交代で在番し、司法、行政を司っていた。「神崎郡史稿」に収録されている古図から、陣屋は長屋門と堀に囲まれ、役所,役宅と土蔵,牢屋、稲荷社があったことがわかっている。
明治5年に廃止され、敷地は民家に払い下げられたが、長屋門は西側の徳勝寺に移築されている。(現地案内板の内容を一部編集)の勝徳寺の表門として改修されて残っている。
所在地:東近江市五個荘町金堂(陣屋通り)