「芸と噺と 落語を考えるヒント」(松本尚久)読了。
※画像をクリックすると「楽天」のページに飛びます
en-taxiの連載?をまとめたもの。
一部加筆もしているようだ。
各章、1人の噺家を取り上げる。
その噺家の高座や取材した話などを含めて、
「落語」の現状を考察し、紡いでいく本。
特に、現代の噺家と観客などの周囲との関わりを
メインに考えている、と感じた。
まず、取り上げられた噺家が興味深い。
羅列すると、
立川談志、林家木久扇、柳家小満ん、月亭八方、三遊亭歌之介、
桂小金治、古今亭寿輔、三遊亭金馬、桂文字助、笑福亭松之助、
「特別編」として川柳川柳、桂吉朝。
珍しい顔ぶれ、と感じる。
当然「誰を取り上げるか」は、筆者の考えに基づくものだろうから
(「連載」と考えると、多少違う要素も入るだろうが)、
筆者が考えをまとめ、整理していく上で、
考えるポイントを提示してくれるのが
ここに挙げた噺家、ということなのだろう。
「噺家・落語と周囲との関係」への関心をメインにおきつつ、
噺家に取材した内容等が組み込まれている。
そのバランスを、あまり見ない類、と感じる。
今まで取り上げられていない話もあるだろうし、
一読の価値ありと思う。
乱暴にまとめてしまえば、
結局現代は、
噺家や落語の居場所がない時代だ、幸せな時代は終わっている、
と言いたいのかな、と感じた。
ただ「では、どうするのが良いのか」は書かれていない。
個々の噺家がどのように時代と「切り結んで」いるかは描写されているが、
その良し悪しは特に評価していない。
読む側が考えることではあるのだが、
そもそも筆者はどう考えているのか、が見えないところに隔靴掻痒の感あり。
そのあたり、各章を独立して見た時には良いのだが、
全体を通したメッセージはあまり感じ取れなかった。
ただそれも含めて、筆者のメッセージなのかも知れないな。
「作品」として分かる人にだけ分かるようにやるのも手だし、
その場その場で客と関係を結んで「噺家」を見せるのも手。
そのあたりを統合して「落語とは、かくあるべし」と言うこと自体が、
落語的な発想ではない、というメッセージかも。
※画像をクリックすると「楽天」のページに飛びます
en-taxiの連載?をまとめたもの。
一部加筆もしているようだ。
各章、1人の噺家を取り上げる。
その噺家の高座や取材した話などを含めて、
「落語」の現状を考察し、紡いでいく本。
特に、現代の噺家と観客などの周囲との関わりを
メインに考えている、と感じた。
まず、取り上げられた噺家が興味深い。
羅列すると、
立川談志、林家木久扇、柳家小満ん、月亭八方、三遊亭歌之介、
桂小金治、古今亭寿輔、三遊亭金馬、桂文字助、笑福亭松之助、
「特別編」として川柳川柳、桂吉朝。
珍しい顔ぶれ、と感じる。
当然「誰を取り上げるか」は、筆者の考えに基づくものだろうから
(「連載」と考えると、多少違う要素も入るだろうが)、
筆者が考えをまとめ、整理していく上で、
考えるポイントを提示してくれるのが
ここに挙げた噺家、ということなのだろう。
「噺家・落語と周囲との関係」への関心をメインにおきつつ、
噺家に取材した内容等が組み込まれている。
そのバランスを、あまり見ない類、と感じる。
今まで取り上げられていない話もあるだろうし、
一読の価値ありと思う。
乱暴にまとめてしまえば、
結局現代は、
噺家や落語の居場所がない時代だ、幸せな時代は終わっている、
と言いたいのかな、と感じた。
ただ「では、どうするのが良いのか」は書かれていない。
個々の噺家がどのように時代と「切り結んで」いるかは描写されているが、
その良し悪しは特に評価していない。
読む側が考えることではあるのだが、
そもそも筆者はどう考えているのか、が見えないところに隔靴掻痒の感あり。
そのあたり、各章を独立して見た時には良いのだが、
全体を通したメッセージはあまり感じ取れなかった。
ただそれも含めて、筆者のメッセージなのかも知れないな。
「作品」として分かる人にだけ分かるようにやるのも手だし、
その場その場で客と関係を結んで「噺家」を見せるのも手。
そのあたりを統合して「落語とは、かくあるべし」と言うこと自体が、
落語的な発想ではない、というメッセージかも。