先週金曜は動楽亭の昼席へ。
13時半開場、14時開演なのだが、
13時過ぎに着くと既に10人以上並んでいた。
結局60から70人程度の入り。
「田楽喰い」(優々):△
マクラは少し整理が悪く感じた。
若い連中の寄り集まっている雰囲気はそこそこ出ていた。
兄貴分のところに既に田楽が来ており、
「若い連中が来てくれて丁度有難い」設定にしていた。
これはこれで悪くない。
アホの野菜の言い立て、
「○○イモ」など種類別に言っており、これも良かった。
「デンデン虫」を歌うのが「きまやん」で、
ちょっとしたリスペクトを感じた。
「神泉苑」の言い立てまで。
「肝つぶし」(ちょうば):△+
二つ目でこのネタ。
ネタの途中で演者の気持ちに戻って、正面の時計にちょいちょい目を向けるのが
ネタへの集中を削いだ。
時間を気にするくらいならば、この位置でこのネタを演らなければいいのに。
ネタの出来は、思ったほど悪くなかった。
病床で喋っている、病弱な感じは弱いが、
「それ夢やねん」でウケは取っていた。
それを取るのがメインのネタ、というものでもないが。
「年月揃った女の生き胆」の医者の説明、やけにきっちり言っているが、
ここは「何となく、聞かれたから言った」であり、
医者も男も「どうせ無理」の前提でもう少しさらっと言うべきだと思う。
いくら理由を付けても、「恩人の子のために妹を殺す」のは今日日
普通の感覚で可能な行動ではないので、
個人的には後半は芝居の空気で演った方が良いのでは、と思う。
サゲの「薬にならん」の前に「良かった」と付けていたが、
やはり好みではない。
ここは良し悪しを離れて単に「薬にならない」事実だけを言う方が
その落胆以外の感情が入らず、すっきり落ちるだろう。
そして、万一付けるのであれば、
妹を殺そうとする際の科白・動きに、
自分の意思でなく流されてしまう緊張感、切迫感がもっと必要だろう。
このあたり、中途半端な印象。
「おごろもち盗人」(あさ吉):△+
米朝の入院見舞いの話などからネタへ。
つながりはあまり良くない。
フワフワとしているのがこの人の持ち味で、
夜らしさや緊迫感はないが、
登場人物が盗人も含めて良い人なのは、まあ悪くない。
おかみさんが「足袋」「襟」から「帯と着物」へ行き着くまでの
照れたような間が何とも可笑しい。
口で言うより、
引っ張って力づくで黙らせるのはあまり好みではない。
通りかかる若い男は独り。
ここも盗人の独り言と重ねて「どんならん」から喋り始めていた。
隠しから銭入れを出した若い男が、まず金を数え始めてみせる。
これは自然だし、単に「5円」などと金高を言うより面白い。
「鹿政談」(南光):△+
米寿記念の米朝展の非売品冊子の宣伝から入る。
宣伝のテンポ、内容の紹介の上手さなど、流石。
後でつい買ってしまった。
土産物の話を始めたので「ちりとてちん」かな、と思ったら、
各地の名物尽くしの歌を詳しく説明し、「鹿政談」へ。
「名物に旨いものなし」やこの名物尽くしの説明は興味深く、
きちんとウケも取っていて面白かったが、
ネタそのものは以前もここで聞いたもの。
「調べている内に大変なことが発覚した」と言ったり
塚原出雲の悪代官風の描写など、
以前見た時に比べてさらに「餌料横領」が主目的になっている印象だが、
個人的にはこのネタは
「鹿の命と人間の命を引き換えるものではない」がメインであり、
「餌料横領」の話はあくまでもその道具として塚原出雲を黙らせるために持ち出す、
という構造ではないかと思う。
現代の感覚では「餌料横領」は重大な犯罪だが、
当時は「役得」であり、表向きは違法でも黙認されていたものだろう。
ネタの全体としても、
奉行が「鹿殺し」に違和感を持っていたこと、
この裁きの発端、
「あくまでも助けたい」と思っての尋問、
サゲの「切らずにやる」「マメで帰る」に戻るところまで、
本筋は「鹿の命と人間の命のバランス」ではないだろうか。
「餌料横領」の方が勧善懲悪であり、分かりやすいのかも知れないが。
細かいことだが
きらずを食べる「犬」に割り木を投げるところは、
狙って当てたのではなく、
追い払うために投げたのが偶々当たってしまった「過失」、とした方が良いと思う。
「壺算」(南天):○+
ほとんどマクラを振らずにネタへ。
色々と工夫の入った「壺算」。
壺が割れた経緯の説明は「布袋さん」の話はなく、
これはこれで「1荷入りを2荷入りに替える」ことが分かりやすくて良いかな。
道中も「足元を見られないように」を最初に言い、
「羽織を買いに行く」の位置付けが分かりやすくなっていた。
個人的には、道具屋の番頭は最初はもう少し堅めの人として描く方が良いと思う。
それが値切られたり訳の分からない計算の話に巻き込まれていく内に
我を忘れていく、というのが全体的な流れだろう。
「へっつい幽霊」の「客は買わないものだから、いちいち愛想する訳がない」
程ではないにせよ、客が来慣れている感じが欲しい。
値切る際に「ユニ屋クロ兵衛」や「伊勢の餅屋」「船場の料亭」などを出して
ウケを取っていた。
これはこれで面白かった。
3円を細かい銭で出したのは、
出したまま残しておいたのを「後で数えるため」という理由付けのためかなあ。
そう悪くないが、個人的にはここは別に理由付けはなくても良いと思う。
何と言っても特徴的なのは「アホもよく分かっていない」ことで、
これは良い工夫。
このネタの解釈として「アホは分かっているが、番頭は当事者だから見えない」はあり得るが、
それよりは「何でアホが分かるのか」の疑問の方が大きい訳で。
分からないまま何かしら喋っているアホの人物も出て、良いと思う。
途中で「一度引き取った壺、また売れるやろ」と言うのも自然だし、
番頭に「壺=金」と思わせる(本当のポイントはこちらではないのだが)上で
良い持っていき方だと思う。
ただ「3円で仕入れて3円50銭で売る」あたりになると
少し複雑に過ぎるかなあ。
番頭の「50銭お返ししなくてはなりませんな」は確かに可笑しいが、
それに対して徳さんは何も言わない方が良いだろう。
「50銭くらい構わん」はあまり徳さんが言わなさそうな科白だし。
あと、他の客が「梅干を漬ける」壺を買う、と言うと、
壺が重なるのでより番頭が混乱するメリットはあるが、
やや物の名前が長くなる(いちいち「梅干を漬ける」と言わなければならない)ので、
ここは良し悪しと思う。
「遊山船」(雀三郎):○+
暑い話をマクラに振ってネタへ。
何と言っても、アホの作為臭がないのが
雀三郎の良いところ。
特にどこでウケさせよう、と感じさせることなく、
全体的に自然な会話・間で自然にウケを取っていた。
「南京豆」と「100円あっても」の「もしも」の繰り返しは、
若干「ここを強調しよう」という感じがせんでもなかったが。
ただこのネタ、このあたりの会話や間に慣れると
稽古屋の船を見て、清八が喜六の嫁さんをクサす科白やその言い方、
それを受けての喜六の腹の立て方、といったあたりが
2人のこれまでの会話の流れやその際の気分に沿わない感じがする。
それを言わないと帰ってきての趣向やサゲにつながらないから、
仕方ないと言えば仕方ないのだろうけど。
13時半開場、14時開演なのだが、
13時過ぎに着くと既に10人以上並んでいた。
結局60から70人程度の入り。
「田楽喰い」(優々):△
マクラは少し整理が悪く感じた。
若い連中の寄り集まっている雰囲気はそこそこ出ていた。
兄貴分のところに既に田楽が来ており、
「若い連中が来てくれて丁度有難い」設定にしていた。
これはこれで悪くない。
アホの野菜の言い立て、
「○○イモ」など種類別に言っており、これも良かった。
「デンデン虫」を歌うのが「きまやん」で、
ちょっとしたリスペクトを感じた。
「神泉苑」の言い立てまで。
「肝つぶし」(ちょうば):△+
二つ目でこのネタ。
ネタの途中で演者の気持ちに戻って、正面の時計にちょいちょい目を向けるのが
ネタへの集中を削いだ。
時間を気にするくらいならば、この位置でこのネタを演らなければいいのに。
ネタの出来は、思ったほど悪くなかった。
病床で喋っている、病弱な感じは弱いが、
「それ夢やねん」でウケは取っていた。
それを取るのがメインのネタ、というものでもないが。
「年月揃った女の生き胆」の医者の説明、やけにきっちり言っているが、
ここは「何となく、聞かれたから言った」であり、
医者も男も「どうせ無理」の前提でもう少しさらっと言うべきだと思う。
いくら理由を付けても、「恩人の子のために妹を殺す」のは今日日
普通の感覚で可能な行動ではないので、
個人的には後半は芝居の空気で演った方が良いのでは、と思う。
サゲの「薬にならん」の前に「良かった」と付けていたが、
やはり好みではない。
ここは良し悪しを離れて単に「薬にならない」事実だけを言う方が
その落胆以外の感情が入らず、すっきり落ちるだろう。
そして、万一付けるのであれば、
妹を殺そうとする際の科白・動きに、
自分の意思でなく流されてしまう緊張感、切迫感がもっと必要だろう。
このあたり、中途半端な印象。
「おごろもち盗人」(あさ吉):△+
米朝の入院見舞いの話などからネタへ。
つながりはあまり良くない。
フワフワとしているのがこの人の持ち味で、
夜らしさや緊迫感はないが、
登場人物が盗人も含めて良い人なのは、まあ悪くない。
おかみさんが「足袋」「襟」から「帯と着物」へ行き着くまでの
照れたような間が何とも可笑しい。
口で言うより、
引っ張って力づくで黙らせるのはあまり好みではない。
通りかかる若い男は独り。
ここも盗人の独り言と重ねて「どんならん」から喋り始めていた。
隠しから銭入れを出した若い男が、まず金を数え始めてみせる。
これは自然だし、単に「5円」などと金高を言うより面白い。
「鹿政談」(南光):△+
米寿記念の米朝展の非売品冊子の宣伝から入る。
宣伝のテンポ、内容の紹介の上手さなど、流石。
後でつい買ってしまった。
土産物の話を始めたので「ちりとてちん」かな、と思ったら、
各地の名物尽くしの歌を詳しく説明し、「鹿政談」へ。
「名物に旨いものなし」やこの名物尽くしの説明は興味深く、
きちんとウケも取っていて面白かったが、
ネタそのものは以前もここで聞いたもの。
「調べている内に大変なことが発覚した」と言ったり
塚原出雲の悪代官風の描写など、
以前見た時に比べてさらに「餌料横領」が主目的になっている印象だが、
個人的にはこのネタは
「鹿の命と人間の命を引き換えるものではない」がメインであり、
「餌料横領」の話はあくまでもその道具として塚原出雲を黙らせるために持ち出す、
という構造ではないかと思う。
現代の感覚では「餌料横領」は重大な犯罪だが、
当時は「役得」であり、表向きは違法でも黙認されていたものだろう。
ネタの全体としても、
奉行が「鹿殺し」に違和感を持っていたこと、
この裁きの発端、
「あくまでも助けたい」と思っての尋問、
サゲの「切らずにやる」「マメで帰る」に戻るところまで、
本筋は「鹿の命と人間の命のバランス」ではないだろうか。
「餌料横領」の方が勧善懲悪であり、分かりやすいのかも知れないが。
細かいことだが
きらずを食べる「犬」に割り木を投げるところは、
狙って当てたのではなく、
追い払うために投げたのが偶々当たってしまった「過失」、とした方が良いと思う。
「壺算」(南天):○+
ほとんどマクラを振らずにネタへ。
色々と工夫の入った「壺算」。
壺が割れた経緯の説明は「布袋さん」の話はなく、
これはこれで「1荷入りを2荷入りに替える」ことが分かりやすくて良いかな。
道中も「足元を見られないように」を最初に言い、
「羽織を買いに行く」の位置付けが分かりやすくなっていた。
個人的には、道具屋の番頭は最初はもう少し堅めの人として描く方が良いと思う。
それが値切られたり訳の分からない計算の話に巻き込まれていく内に
我を忘れていく、というのが全体的な流れだろう。
「へっつい幽霊」の「客は買わないものだから、いちいち愛想する訳がない」
程ではないにせよ、客が来慣れている感じが欲しい。
値切る際に「ユニ屋クロ兵衛」や「伊勢の餅屋」「船場の料亭」などを出して
ウケを取っていた。
これはこれで面白かった。
3円を細かい銭で出したのは、
出したまま残しておいたのを「後で数えるため」という理由付けのためかなあ。
そう悪くないが、個人的にはここは別に理由付けはなくても良いと思う。
何と言っても特徴的なのは「アホもよく分かっていない」ことで、
これは良い工夫。
このネタの解釈として「アホは分かっているが、番頭は当事者だから見えない」はあり得るが、
それよりは「何でアホが分かるのか」の疑問の方が大きい訳で。
分からないまま何かしら喋っているアホの人物も出て、良いと思う。
途中で「一度引き取った壺、また売れるやろ」と言うのも自然だし、
番頭に「壺=金」と思わせる(本当のポイントはこちらではないのだが)上で
良い持っていき方だと思う。
ただ「3円で仕入れて3円50銭で売る」あたりになると
少し複雑に過ぎるかなあ。
番頭の「50銭お返ししなくてはなりませんな」は確かに可笑しいが、
それに対して徳さんは何も言わない方が良いだろう。
「50銭くらい構わん」はあまり徳さんが言わなさそうな科白だし。
あと、他の客が「梅干を漬ける」壺を買う、と言うと、
壺が重なるのでより番頭が混乱するメリットはあるが、
やや物の名前が長くなる(いちいち「梅干を漬ける」と言わなければならない)ので、
ここは良し悪しと思う。
「遊山船」(雀三郎):○+
暑い話をマクラに振ってネタへ。
何と言っても、アホの作為臭がないのが
雀三郎の良いところ。
特にどこでウケさせよう、と感じさせることなく、
全体的に自然な会話・間で自然にウケを取っていた。
「南京豆」と「100円あっても」の「もしも」の繰り返しは、
若干「ここを強調しよう」という感じがせんでもなかったが。
ただこのネタ、このあたりの会話や間に慣れると
稽古屋の船を見て、清八が喜六の嫁さんをクサす科白やその言い方、
それを受けての喜六の腹の立て方、といったあたりが
2人のこれまでの会話の流れやその際の気分に沿わない感じがする。
それを言わないと帰ってきての趣向やサゲにつながらないから、
仕方ないと言えば仕方ないのだろうけど。