先週水曜は動楽亭昼席の後、繁昌亭に回った。
久し振りの1日2落語会。
繁昌亭6周年の「プレイベント」の位置付けの一つとして、
「繁昌亭大賞」受賞者が集まっての落語会。
(参考:繁昌亭大賞 - Wikipedia)
手堅いメンバー、ということもあり、そこそこの入り。
「ちりとてちん」(喬若):△+
彼は別に受賞者ではなく、前座としての位置付け。
「落語会の松坂大輔」といういつも言っている第一声だが、
非常によくウケていた。
サラの客が多かったのかも知れない。
ネタは、まあ、普通。
南光などに比べると華はないが、
特に「たけ」などに妙なあざとさがない。
このレベルの人が前座に来ると落語会全体が締まる。
ちりとてちんを実際に食べるところが特に克明で、
口に入れた後実際に臭いが口の中に広がるまでの時間差、
口に臭気が充満するので酒で口をゆすぐなど、
自然に感じた。
ちりとてちんにもっと刺激がある、と考えると、
また違う描写になるかも知れない。
その方がもっと激しい反応になるような気はする。
「子ほめ」(文華):○+
第5回の受賞者。
学校公演の話で軽くウケをとってネタへ。
このレベルの人が、こういった前座ネタをやると面白いな。
特に不自然なほど妙なことをやっている訳でもないのだが、
飛び込んでくるイチビリ、応対するおっさんの人物が一貫しており、
リズム・間が自然で良いので安心して笑っていられる。
この人の売りは愛嬌と崩した乱暴さだと思っているのだが、
それもよくハマっていた。
子が出来た竹やんとアホも
普段からバカなことを言い合っている関係が見えて良かった。
「天狗裁き」(染二):△
第2回の受賞者。
繁昌亭大賞の賞金などの話、
如何にも大阪的な身の回りの話からネタへ。
後で鶴ニが言うには、ネタ下ろしだったらしい。
マクラはまあ良かったが、
ネタはよくウケていたとは言え「ネタ下ろしだから」云々でなく、良いとは思えん。
全体に不自然さが目に付き、鼻に付く。
例えば最初のおかみさんが「夢をみている」亭主の様子を見ているところ、
横で亭主が寝ているとは思えない声の出し方、仕草。
「最初、バカバカしいと思っている→夢の話を聞きたがる」ところも、
そもそも夢の話が聞きたい、という本音があってそれを隠していたのが、
その隠し、抑えていた「理性」「メンツ」が徐々に薄くなり、
ついには剥げ落ちて「聞きたい」と言ってしまう、という動きがあると思っているのだが、
そんなものはなくマンガチックにころっと転換しているし、
転換の必然性も見えない。
また、それぞれの人物の「理性」や「メンツ」の厚さや性質によって
転換の仕方も変わると思うのだが、
そんな違いもなく。
奉行や天狗にも、大きさや人外の底知れぬ存在感が感じられなかった。
「夢の中だから、どうでもいい」「ウケればどうでもいい」と
開き直っているのかも知れないが。
あと、天狗の出でハメ(「楽」かな)を入れていたが、
本当は夢の中の話であることを考えると、
ハメを入れるのが妥当かどうか、少し疑問。
「ねずみ」(鶴ニ):○-
昨年度第6回の受賞者。
マクラで前に出た染二をいじる。
染二が出てくるがけっこう喋ってからであるあたり、
ある程度打ち合わせをしているのか、
同世代で接触する機会が多いのか。
これもネタ下ろしらしい。
全体に甚五郎の造形が酒仙っぽい浮世離れした雰囲気が弱く、
あまり好みではない。
最初、子どもが順々に言っていくところ、
仕事をしつつまだ子どもである描写が良かった。
「宿屋町」のハメを入れるのは初めて見た。
あのハメは詞からして「客引きが袖を引く」場面では、という感覚があり、
岡山の宿で特に客引きが出ている訳ではない「鼠屋」を探している場面としては
少し違和感があった。
虎屋から追い出された経緯の独り喋りがどうしようもなく長く暗いのは、
このネタを好きになれない最大の理由。
江戸の演り方だと分銅屋が2回やってくる
(子どもが後妻に虐待を受けている、店を譲り渡したのかと詰問に来る)と思うのだが、
店から出るのは分銅屋トリガーではなく
後妻と番頭に店から出るように言われた形にし、
分銅屋が鼠屋に来るのは「店を譲り渡したのか」と聞きに来る時だけ、
という形にしていた。
まあ、良し悪しだなあ。
長く重く感じがちの独白で、
状況の変化・登場人物の変化をつけることを考えると
2回来る方が目先が変わるような気はする。
鼠屋にもう少し諦念があり、
他人事、あるいは昔話風の喋り方にした方がさらっとしているし、
「何となく喋った」感じで聞き易いのでは、と思う。
彫った鼠を見る岡山の田舎者の雰囲気が良い。
このあたりは梅團治から来ている方言を使うパターンかな。
その後はさらっと進み、悪くなかった。
鶴二って少し顔を前に突き出して喋るんだなあ。
座り方として少し違和感があった。
「まんじゅうこわい」(三喬):○
第1回の受賞者。
昼の動楽亭同様、「古典の日」の話を軽く振ってネタへ。
基本的にはごく普通。
好きなもの、恐がっているものは少し捻ったものもあった。
若い連中だけでなく「ご隠居さん」も中に入っているのは初めて見たが、
これはこれで寄り集まっている連中の層の厚さが見えるようで面白い。
後でおやっさんがやってきて怪談をする際に
この中に入ろうとするきっかけにもなっているし。
「アリが恐い」男を、
明確に後の怪談で若い連中の代表として登場させていた。
怪談はまあまあ。
中で水音やハメを入れるのは個人的には反対。
あくまでも登場人物が喋っている話であり、
そこにハメを入れるものではないだろう。
喋っている時に実際に音が入る訳でもないし。
怪談の後「米之助師匠の習ってもらって」といった話を入れるのは、
流れを切りかねないので好きになれない。
それでも流れを切らない、妨げない、という自信があるのだと思うが、
一時的にせよ現実に引き戻させるのは快くない。
みっちゃんはそこまで嫌な人間でなく。
饅頭の類を食べるところを克明にやっていた。
飛び込まれて詰まり掛けるから下げの「熱いお茶」と言っていく流れになる訳で、
このあたりも丁寧に運んでいた。
久し振りの1日2落語会。
繁昌亭6周年の「プレイベント」の位置付けの一つとして、
「繁昌亭大賞」受賞者が集まっての落語会。
(参考:繁昌亭大賞 - Wikipedia)
手堅いメンバー、ということもあり、そこそこの入り。
「ちりとてちん」(喬若):△+
彼は別に受賞者ではなく、前座としての位置付け。
「落語会の松坂大輔」といういつも言っている第一声だが、
非常によくウケていた。
サラの客が多かったのかも知れない。
ネタは、まあ、普通。
南光などに比べると華はないが、
特に「たけ」などに妙なあざとさがない。
このレベルの人が前座に来ると落語会全体が締まる。
ちりとてちんを実際に食べるところが特に克明で、
口に入れた後実際に臭いが口の中に広がるまでの時間差、
口に臭気が充満するので酒で口をゆすぐなど、
自然に感じた。
ちりとてちんにもっと刺激がある、と考えると、
また違う描写になるかも知れない。
その方がもっと激しい反応になるような気はする。
「子ほめ」(文華):○+
第5回の受賞者。
学校公演の話で軽くウケをとってネタへ。
このレベルの人が、こういった前座ネタをやると面白いな。
特に不自然なほど妙なことをやっている訳でもないのだが、
飛び込んでくるイチビリ、応対するおっさんの人物が一貫しており、
リズム・間が自然で良いので安心して笑っていられる。
この人の売りは愛嬌と崩した乱暴さだと思っているのだが、
それもよくハマっていた。
子が出来た竹やんとアホも
普段からバカなことを言い合っている関係が見えて良かった。
「天狗裁き」(染二):△
第2回の受賞者。
繁昌亭大賞の賞金などの話、
如何にも大阪的な身の回りの話からネタへ。
後で鶴ニが言うには、ネタ下ろしだったらしい。
マクラはまあ良かったが、
ネタはよくウケていたとは言え「ネタ下ろしだから」云々でなく、良いとは思えん。
全体に不自然さが目に付き、鼻に付く。
例えば最初のおかみさんが「夢をみている」亭主の様子を見ているところ、
横で亭主が寝ているとは思えない声の出し方、仕草。
「最初、バカバカしいと思っている→夢の話を聞きたがる」ところも、
そもそも夢の話が聞きたい、という本音があってそれを隠していたのが、
その隠し、抑えていた「理性」「メンツ」が徐々に薄くなり、
ついには剥げ落ちて「聞きたい」と言ってしまう、という動きがあると思っているのだが、
そんなものはなくマンガチックにころっと転換しているし、
転換の必然性も見えない。
また、それぞれの人物の「理性」や「メンツ」の厚さや性質によって
転換の仕方も変わると思うのだが、
そんな違いもなく。
奉行や天狗にも、大きさや人外の底知れぬ存在感が感じられなかった。
「夢の中だから、どうでもいい」「ウケればどうでもいい」と
開き直っているのかも知れないが。
あと、天狗の出でハメ(「楽」かな)を入れていたが、
本当は夢の中の話であることを考えると、
ハメを入れるのが妥当かどうか、少し疑問。
「ねずみ」(鶴ニ):○-
昨年度第6回の受賞者。
マクラで前に出た染二をいじる。
染二が出てくるがけっこう喋ってからであるあたり、
ある程度打ち合わせをしているのか、
同世代で接触する機会が多いのか。
これもネタ下ろしらしい。
全体に甚五郎の造形が酒仙っぽい浮世離れした雰囲気が弱く、
あまり好みではない。
最初、子どもが順々に言っていくところ、
仕事をしつつまだ子どもである描写が良かった。
「宿屋町」のハメを入れるのは初めて見た。
あのハメは詞からして「客引きが袖を引く」場面では、という感覚があり、
岡山の宿で特に客引きが出ている訳ではない「鼠屋」を探している場面としては
少し違和感があった。
虎屋から追い出された経緯の独り喋りがどうしようもなく長く暗いのは、
このネタを好きになれない最大の理由。
江戸の演り方だと分銅屋が2回やってくる
(子どもが後妻に虐待を受けている、店を譲り渡したのかと詰問に来る)と思うのだが、
店から出るのは分銅屋トリガーではなく
後妻と番頭に店から出るように言われた形にし、
分銅屋が鼠屋に来るのは「店を譲り渡したのか」と聞きに来る時だけ、
という形にしていた。
まあ、良し悪しだなあ。
長く重く感じがちの独白で、
状況の変化・登場人物の変化をつけることを考えると
2回来る方が目先が変わるような気はする。
鼠屋にもう少し諦念があり、
他人事、あるいは昔話風の喋り方にした方がさらっとしているし、
「何となく喋った」感じで聞き易いのでは、と思う。
彫った鼠を見る岡山の田舎者の雰囲気が良い。
このあたりは梅團治から来ている方言を使うパターンかな。
その後はさらっと進み、悪くなかった。
鶴二って少し顔を前に突き出して喋るんだなあ。
座り方として少し違和感があった。
「まんじゅうこわい」(三喬):○
第1回の受賞者。
昼の動楽亭同様、「古典の日」の話を軽く振ってネタへ。
基本的にはごく普通。
好きなもの、恐がっているものは少し捻ったものもあった。
若い連中だけでなく「ご隠居さん」も中に入っているのは初めて見たが、
これはこれで寄り集まっている連中の層の厚さが見えるようで面白い。
後でおやっさんがやってきて怪談をする際に
この中に入ろうとするきっかけにもなっているし。
「アリが恐い」男を、
明確に後の怪談で若い連中の代表として登場させていた。
怪談はまあまあ。
中で水音やハメを入れるのは個人的には反対。
あくまでも登場人物が喋っている話であり、
そこにハメを入れるものではないだろう。
喋っている時に実際に音が入る訳でもないし。
怪談の後「米之助師匠の習ってもらって」といった話を入れるのは、
流れを切りかねないので好きになれない。
それでも流れを切らない、妨げない、という自信があるのだと思うが、
一時的にせよ現実に引き戻させるのは快くない。
みっちゃんはそこまで嫌な人間でなく。
饅頭の類を食べるところを克明にやっていた。
飛び込まれて詰まり掛けるから下げの「熱いお茶」と言っていく流れになる訳で、
このあたりも丁寧に運んでいた。