
人が好きになるということは
愉しいことのなかでも、
一等愉しいことでございます。
人が人を好きになることほど、
うれしいという言葉が
突きとめられることがございません、
好きという扉を何枚ひらいて行っても、
それは好きでつくり上げられている、
お家のようなものなんです。
〜室生犀星「蜜のあわれ」〜
先週
御逝去された
落語家
桂 歌丸 師匠
を
偲んで
三遊亭 圓楽サン
が
「想ひ出供養」
の
話
を
されていた
哀しみ。
に
とどまらず
その方
の
人柄
や
その方
との
エピソード
を
語るコト
で
その方
は
きっと
笑顔
で
ココロの中
に
生き続ける
と
云ふ
ヒト
と
ヒト
には
きっと
ちょうどいい
距離
や
間柄
が
在って
でも
今生
では
向き合ったり
寄り添ったり
時には
ぶつかったり
退いたり
と
距離
が
ブレたり
計りかねるコト
も
しばしば
ココロ
の
中
想ひ出
の
中
でなら
きっと
互い
が
心地よく
敬い合える
距離
を
保つコト
が
適うかもしれない
から
ヒト
は
出逢い
そして
別れゆく
の
だろう
この
齢
に
なっても
いや
この
齢
だからこそ
の
出逢い
や
訣別
が
まだまだ
訪れる
かも
しれない
けれど
そう
想えば
すべて
の
事象
に
意味づけ
位置づけ
が
出来るのかも
しれない
もしも
哀しみ
の
真っ只中
を
藻搔き
その
極
を
彷徨う
時
には
この
想ひ出供養。
を
想い出そう
ココロ
から
の
笑顔
が
似合うヒト
で
在りたい
から
残された
計り知れない
人生
を
存分
に
生きてみたい
から