~こころに吹く風~

1952年生まれの みよです。
人生の花野に遊びたい。
心躍ることも心塞ぐことも綴ります。

29日目 ガッリーナ~ラディコーファニ(Gallina~Radicofani)10/27

2019年03月13日 | イタリア巡礼路を辿る旅(Via Francigena)
5:00起床、 6:40出発
群雲から月が覗く






遠くに羊の群れ。
1時間ほど歩いた所に巡礼者のために休憩場所を提供して下さっている民家がありました。


水とテーブルの上にお菓子。ありがたいです。

この民家の隣りにはアグリツーリズモの宿がありました。
私は巡礼旅の間に一日だけでいいから贅沢をしてアグリツーリズモに泊まれたらいいなぁと思っていました。それで、巡礼路のコース上にあるこの宿を日本を出発する前に予約してあったのです。
でもいろんなことがありまして、キャンセル料が発生しないギリギリにここをキャンセルして、昨日泊まったB&Bに変更したのでした。






荒々しい景色です。素敵!
雨が降ったと思うとサッと陽が射す天気です。カンカン照りでないから素敵だなんて言っていられる(^^)
晴天だったら秋と謂えどもきっと暑くて大変だと思います。












FRANCIGENAの文字が書いてありますが、これはマラソンコースの標識です。




途中、沢山の犬に取り囲まれる場面もありました。羊を追うために飼われているのかなぁ。
小石を投げたら(いけないんですけど、怖かったから)、それを餌だと思ったのか、みんなそちらの方へ戻って行きました。


お~っ!ラディコーファニの町が見えて来ました。私の中で「憧れのラディコーファニ!」なんです。
「イタリアのvia francigenaのコース中でどこが一番ハードな所?」と質問すると、みな一様に「サン・クイーリコ・ドルチャからラディコーファニへの道」と答えるのです。私たちはそこを2日かけて歩きました。このコースを一日で歩いた巡礼者たちが倒れ込むように水を飲む水場がありました。


あと一息ですが見えてる割にはまだまだ遠かったです。でもモンタルチーノへの昇りに比べれば何のその(^^)


白馬!絵の中の世界みたいです。東山魁夷を思い浮かべました。








開けた場所へ出ると、強風で吹き飛ばされそう。体を持って行かれないように踏ん張って歩きました。

12:40夢見ていたラディコーファニの町に到着。
まずバールでトマトパスタとオレンジジュースでランチ。
メニューはイタリア語の文字ばかり。何を頼んだら良いのかわからないので、いつもトマトのパスタです。店のオススメを聞けば良かったのに、そんな簡単なことを思いつかない私たちでした。










ここが巡礼宿。まだ閉まっています。


ドアに「着いたら電話するように」と張り紙があります。困ったなぁ。私の電話は使えないのです。
教会を見学していたフロリダからのご夫婦が、「バルで電話を頼みなさい。私は少しはイタリア語を話せるから頼んであげる」と助けてくださり、無事にオスピタレーロに連絡できました。
オスピタレーロもイタリア語オンリー。
チェックインの手続きを済ませ、翌日のアックアペンデンテの宿を予約していただき、設備の説明を受けて、お別れのハグ。
彼は両腕にR子と私を一人ずつ抱えてハグしてしてくれました。その腕の力があまりにも強かったので、私は胸にグッと来てしまって、そのまま彼の胸で泣き出してしまいました。
「どうしたの?」と不思議そうなので、翻訳アプリ(オフラインで可)を使って「電話が壊れて使えなくて不安なんです」と言うとそれはそれは心配してなんとか慰めようとハグの雨あられ。イタリア語をペラペラペラペラ。一言も理解できないのですが、その気持ちがとても嬉しかった。

一段落してから町を散策しました。








食料を買った小さな商店のおばちゃんが陽気で傑作なんです。イタリア語しか話せないのに、滅茶苦茶面白かった(^^)

シーザ峠からずっと一緒だったスイス人が暗くなってから到着しました。街灯なんてないのに、ここまでどうやって来たんだろう?
彼はオスピタレーロに教わったリストランテへ食事に出かけ、帰って来た時にドアが開かなくてガチャガチャやっていたので開けてあげました。
私は「ボナノッテ(おやすみなさい)」と彼の背中に言いました。
すると、自分の部屋の方へ行ってしまっていた彼は戻って来て、私の目を覗き込み「sleep well」と。
ずっと一緒だったのに、初めてちゃんと会話した気がしました。(実際は挨拶や事務的な話はしていたのですが)
心細いと、些細なことが心に染みるんですね。
スイス人の彼とはこの時が最後で、もう会うことはありませんでした。

今日の歩き 17.5km

《宿情報》
Spedale Santi Pietro e Giacomo
Eメール: doneliasantori@libero.it
電話 : 338 7982255
住所 : Via dello Spedale、
寄付、16ベッド、食事なし、キッチン
予約は受け付けない
以前は食事との儀式があったらしいが、なくなっていた。


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4 コメント

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懐かしいラディコーファニ (kenji)
2019-03-13 09:39:37
ここは私にとっても大変懐かしいちでした。
私はもう一つの巡礼宿に泊まりましたが ここのオスピターレには大変お世話になりました。

相方が日射病にやられちょっとの日光にも耐えきれなくなった頃でこの地に2泊しました。
みよさんが泊まった巡礼宿のちょっと先に公園がありそこからの景色を見るのが好きでした。

今年はそこから緑の絨毯を見るのが楽しみdす。
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水場 (ぷー子)
2019-03-13 21:16:22
どこが一番辛かったと言われれば、場面が思い浮かんでもそれがどの区間だったか覚えてません。(自分でも気になる〜〜〜)
ただ、この日の猛暑と、みよさんの時みたいに例のアグリツーリズモの宿のところには水が置いておらず、あの見晴らしの良い水場にたどり着いたときは水が美味しくて私もがぶのみしました(笑)
巡礼宿、1週間ごとにボランティアさんがかわるっぽいので、私の時は一家(夫婦と娘と孫)のボランティアさんだったので女手も多くすごく立派な食事でラッキーでした。
体力にあわせて距離を調整するのはとっても重要だと思います。この区間は二日にかけてゆっくりが正解でしたよ〜。(夏だと熱さに弱い人は正直危険)
ラディコファニ、イタリアで一番好きな町でした。
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kenjiさんへ (みよ)
2019-03-16 01:33:14
kenjiさんはもう一つの方のオステーロに泊まられたんですね。
思い出深い宿なのでしょうから、今回も同じ宿になさるのかなぁ。お世話になった方々の事は強く記憶に残りますね。

写真を一枚追加しました。この公園でしょうか?
ここからの眺めは残念ながら撮っていませんでした。
緑の絨毯の写真をブログで拝見するのを楽しみにしています。
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ぷー子さんへ (みよ)
2019-03-16 01:48:14
この区間は2日に分けて大正解!というか、私たちには一日で歩くのは絶対無理だったと思います。
あの地を灼熱の時期に歩くのはさぞ大変だっただろうと想像できます。

私が一番辛かったのはアウッラ~サルザーナでした。まだ歩く事に慣れていなかった時期のアペニン山脈越えの疲れが溜まっていたようです。

巡礼宿のことはぷー子さんのブログを読んでいたので楽しみにしていましたが、残念でした。でもいい宿でした。
その時その時で宿や水や景色やいろいろが変わりますよね。
私もラディコーファニが一番気に入りました。
ここでトスカーナの景色ともお別れだという達成感や名残惜しさみたいな気持ちでした。
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