「趣味を持つこと」
と良く母に諭された
そのためにお茶をやれ、お花を、お琴を、書を、仕舞いを
とお稽古事のオンパレードであり
お琴はともかく他は全く受け付けず
其の月謝を密かにピアノレッスンに向けていた
あるとき教育ママの次姉が6歳の娘を同じ先生に入門させ
(此の先生の息子達は後に国立大の音楽の教授、一人は芸大の名誉教授というエリート血筋)
チャコちゃん先生のピアニストになるという夢は一挙に消えてしまった
苦労して友人宅のピアノを練習に使わせてもらっていたのも発覚
其のお宅に母は私の首根っこを引っ捕らえて頭を下げさせ
以降「趣味は和事」と決められていまった
当然和物に興味の無いチャコちゃん先生無趣味になってしまった
その後の母との確執はまた別の機会にーーー
結婚はチャコちゃん先生の洋の趣味を生かすことに役立った
しかし忙しくなり其の趣味にひたるまもなく55歳を迎えたとき
そうだ「声楽をやろう」と一大決心
その頃チャコちゃん先生の秘書をしていたMさんが入っていた
ママさんコーラスの先生を紹介していただいた
個人レッスンは男先生コーラスは女先生
とうぜん個人レッスンを望む
「ボクは素人には教えたことはないのだよ」
まあ発声をーー
「あなたお腹切っていますね、そうするとお腹と声が繋がらないから声楽は無理だよ」
声を発しただけで「お腹を切っている」なんて分かる先生は凄いと思ったし
無理と云われればなおさらやってみたいチャコちゃん先生
頼み込んで弟子にしていただいたそして22年
昨夜は勉強発表会があり「やっとお腹と繋がったね」
身体は疲れ切っていて
周りの人からも出場を懸念されていたが
「どうせ聴きに行くのだから出た方が良い」
と4日前に出場をきめて舞台に立った
伴奏合わせも3時間前一回
緊張感と集中力が効をそうし
あんなに疲れていたのに身体は一挙に軽くなり
精神状態も快適
更に今までの発表の中で最も自分でも満足する仕上がり
趣味は人を助ける
と言うのを実感した夜だった
と良く母に諭された
そのためにお茶をやれ、お花を、お琴を、書を、仕舞いを
とお稽古事のオンパレードであり
お琴はともかく他は全く受け付けず
其の月謝を密かにピアノレッスンに向けていた
あるとき教育ママの次姉が6歳の娘を同じ先生に入門させ
(此の先生の息子達は後に国立大の音楽の教授、一人は芸大の名誉教授というエリート血筋)
チャコちゃん先生のピアニストになるという夢は一挙に消えてしまった
苦労して友人宅のピアノを練習に使わせてもらっていたのも発覚
其のお宅に母は私の首根っこを引っ捕らえて頭を下げさせ
以降「趣味は和事」と決められていまった
当然和物に興味の無いチャコちゃん先生無趣味になってしまった
その後の母との確執はまた別の機会にーーー
結婚はチャコちゃん先生の洋の趣味を生かすことに役立った
しかし忙しくなり其の趣味にひたるまもなく55歳を迎えたとき
そうだ「声楽をやろう」と一大決心
その頃チャコちゃん先生の秘書をしていたMさんが入っていた
ママさんコーラスの先生を紹介していただいた
個人レッスンは男先生コーラスは女先生
とうぜん個人レッスンを望む
「ボクは素人には教えたことはないのだよ」
まあ発声をーー
「あなたお腹切っていますね、そうするとお腹と声が繋がらないから声楽は無理だよ」
声を発しただけで「お腹を切っている」なんて分かる先生は凄いと思ったし
無理と云われればなおさらやってみたいチャコちゃん先生
頼み込んで弟子にしていただいたそして22年
昨夜は勉強発表会があり「やっとお腹と繋がったね」
身体は疲れ切っていて
周りの人からも出場を懸念されていたが
「どうせ聴きに行くのだから出た方が良い」
と4日前に出場をきめて舞台に立った
伴奏合わせも3時間前一回
緊張感と集中力が効をそうし
あんなに疲れていたのに身体は一挙に軽くなり
精神状態も快適
更に今までの発表の中で最も自分でも満足する仕上がり
趣味は人を助ける
と言うのを実感した夜だった