東京の繊維問屋がずらりと並んでいた堀留、新富町
最新発表の展示会が行われているので、久しぶりにゆっくり散策した
「かうひいや」は健在で、そこでゆっくり休む。いつもは数人と徘徊しているので、一人で喫茶店に入るということはまずないから、店主もびっくり。そう、チャ子ちゃん先生一人で喫茶店やレストランに入れない。間が持てない、変な性格だ
さて堀留、あそこの茶まんじゅうを購入して帰ろう。と思いきや閉店、そういえばあの横町においしいウナギ屋さんがあった、晩のおかずに、これまた店ごとなし、アパホテルができているのにびっくり、マンションばかり、総合ビルはIT関係か、茅場町も近いので投資家を集めた研修会場もあり、繊維問屋は貸会場をやったりと小さく商いをやるか、撤退
荷物運びのトラックがぎっしり詰まっていた通りは、人々がゆっくり歩いている。あらー蕎麦屋もなくなっている、ロイヤルミルクていがおいしかった喫茶店も消えていた。
マンションが増えたので、廃校寸前だった小学校や、子供児童公園は子供たちが駆け回っていて明るい
盗賊の親分が切り開いた富沢町も軒並み繊維問屋の看板は下ろされている
問屋トンビをしていた時の様子とはもうがらりと変わっている。時代なのだなあ
そんなこと「かうひいや」の店主と話しながら、チーズケーキごちそうになりご機嫌
今渋谷も新宿も様変わりの最中、東京は変わっていくから魅力があるのだという人もいる。変わらないものと変わっていくものそういうことが一緒くたになって流されていくのが都会なんだと
そういう中で日本橋小学校の子供たちが飼育した蚕の様子や、製糸された糸を眺めてかわらない生糸の美しさは、どの時代の人間にも感動を与えるのだと知る。幾世紀にもわたって人に感動を与えられるものは、やはり大切にしていかなければいけないなあと思う
繊維問屋は少なくなったけど、この地が栄えた骨幹が生糸だということ、この土地はちゃんとそれを覚えているんだな、と感慨j深い