写真を売って収入を得るストックフォトというのがある。
そのひとつPIXTAをやってみたことがある。
写真が売れるたびにポイントがつき、ポイントが一定数に達すると換金できる仕組みになっている。
しかし、写真がそうそう売れるわけでもなく、換金できるポイントに達すること自体が遠い道のりに思えた。
というわけで、いつのまにか興味を失い、中断していた。
ところが、最近、ストックフォトに関する YouTube を何本か見て、再び興味が湧いてきた。
ちなみに、今まで売れた写真は
平安衣装で熊野古道を巡り歩く女性たち(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山)
コスモスとひまわり(滋賀県東近江市道の駅あいとうマーガレットステーション)
幣の浜 にぎのはま(福岡県糸島市志摩芥屋)
八剣神社のヒメボタル(福岡県鞍手郡鞍手町)
熊野古道と幣の浜は複数回売れている。
PIXTAを再開し、いろいろな写真を登録した。
今まで膨大な写真を撮ってきており、そのなかから選んで登録するわけだが、どういう写真が売れるのか、まだよくわからない。
YouTubeで売れる写真を解説しているものもいくつか見たが、Aという人が言っていることとまったく逆のことをBという人が言ってたりする。
写真をアップロードし、審査申請をする。
審査には数日かかり、OKが出れば販売開始となる。
審査でNGが出ることもある。
人物が写っている場合、後ろ姿はOKだが、顔が認識される場合はNGとなる。(本人了解であれば別手続がある。)
人気観光地の場合は大勢の人がやってくるので、知らず知らずのうちに人が写り込んでいることがある。
藤原宮跡の桜と菜の花(奈良県橿原市醍醐町)
右側、桜の花が途切れた空間に人が写り込んでおり、正面を向いていたのでNGとなった。
これはまだわかりやすいが、写真によってはどこに人が写り込んでいるのかわからず、拡大して探してやっとわかったものもあった。
審査は顔認識ソフトのようなものを使っているのだろうか。
この写真もNGだった。
その理由は
ミッキーマウスのキャラクターが写り込んでいるのでNG。
著作権の問題か。
さらに機体番号が写っているのでNG。
自動車のナンバープレートが写り込んでいるのは所有者が特定されるためNGなのはわかるが、飛行機の機体番号がわかることでなにか損害が発生するのだろうか。
航空会社の特定はOKなのに。
不思議だ。
登録写真を増やしていって1,000点以上にするのがポイントらしい。
まー、暇つぶしのつもりでぼちぼちとやってみよう。
前回記事で、ダウンジャケット、セーター、マフラー、手袋がいらなくなったと書いたが、その後一転して、気温が10°を割り込む寒い日が続き、冬が戻ってきた。
今日の夕方はほんの短い時間だったが雪もちらついた。
こんなに気温の変化が激しいと、なにを着ていいか迷う。
梅が見頃になると始まるのが花粉症。
鼻水が泉のように湧き出で、激しい目の痒みに襲われる。
さっそく花粉症対策用の点鼻薬と目薬を購入。
これから5月まで耐えるしかない。
それでも、年を老いるごとに症状がだんだん薄らいでいるのは不思議だ。
舞鶴公園の梅は見頃を過ぎてしまっていた。
特に白梅に萎れたものが目立つ。
旬を過ぎた梅にメジロはやってこないだろうと思っていたら、きた!
あんなに寒い日々が続いていたのに、急に暖かい陽気になってきた。
ダウンジャケット、マフラー、手袋はもういらない。
今日はセーターも着ず、布製ジャケットと長袖シャツだけでよかった。
歩いているうちに暑くなってきて布製ジャケットも脱いだ。
花粉情報は今日も明日も「極めて多い」。
桜並木を通りかかって見てみると、小さな蕾がたくさん出ていた。
今年は寒い日が続いたため、梅の開花時期が大幅に遅れ、3月に入って見頃になるという事態となった。
しかも、見頃になってから悪天候が続き、ようやく晴れたので、近場の花畑園芸公園に行ってみた。
1月に筥崎宮の冬牡丹を撮って以来、実に一ヶ月以上写真を撮ってなかった。
なんとなく、最近は撮影意欲減退。
那珂川からカワセミの姿は消えたし、野多目池にミサゴも来なくなったし・・・
今までは朝に行っていたが、今回は用事があって午後になった。
その時間帯のせいか、メジロの姿がまったく見られなかった。
残念。
今年もまた筥崎宮花庭園の冬牡丹の季節がやってきた。
せっかく雪よけの藁帽子をかぶっているので、雪が積もった時に撮ってみたい。
ただ、実際に雪が積もるとノーマルタイヤの車では行けなくなり、公共交通機関を乗り継いで行くしかないので、結局行かないことになりそう。
持ち物整理の一環として、40年以上放置していた8mmフィルムを見ようとしたら、懸念していた通り映写機が壊れていた。
リールは10本あり、見れないのであれば捨てようかといったんは思ったが、せっかく保管してきたので、富士フイルムに8mmフィルムのDVDダビングサービスを依頼。
2ヶ月を経て、それがようやく届いた。
画質は粗く、経年劣化で色褪せていた。
それでも、映像を見ていると、すっかり忘れしまった、はるか昔の記憶が蘇ってくる。
東京で就職したが、最初の勤務地は故郷の福岡支店だった。
入ってしまえばあとは辞令一本で日本全国どこでも転勤させられる身となるので、最初は地元に返してやろうという方針だった。
同時に、東京生まれの東京育ちは地方を経験させようと、それも地方勤務となった。
つまり新人は全員地方勤務からスタートした。
そして、8mmフィルムの撮影は、福岡支店勤務時代から始まっている。
最初の映像は昭和50年、つまり50年も前になる。
今はもう多分やってないと思うが、当時は社員旅行が当たり前だった。
一年に一回、支店全員で一泊二日の旅行に出かけた。
支店全体のほか、各セクションごとに旅行やドライブもあった。
今の若い人は休日まで職場の人間とつきあうのは忌避感があると思うが、当時はみんなけっこう楽しんでいた。
夜の宴会では、新人が中心になって寸劇を演じるのが恒例だった。
演じている方も見ている方も大いに盛り上がった。
山登りが好きで、職場で部を作ると人事部から補助金が出ると聞いて、ワンダーフォーゲル部を作った。
登山部とすると本格登山のイメージになるので、参加しやすいイメージのワンダーフォーゲル部にした。
九州の名峰、久住山(1786m)に登った時に8mmフィルムで撮っており、映像を見ていると15人くらいの参加者がいたようだ。
リール10本のうち2本はわが夫婦の結婚式で、1本は僕側の誰か、1本は妻側の誰かが撮ったと思われる。
当時は渋谷支店勤務だったが、妻も福岡であり、式は地元福岡で挙げた。
遥か遠い彼方に去っていた自分の結婚式の記憶が、映像を見ているうちに朧げに蘇ってくる。
渋谷支店からは支店長、直属上司の課長などが出席、ほか勤務先の親しい同期や先輩、大学時代の友人達が東京から出席してくれた。
母は関西出身なので、母の親戚は大阪から来てくれた。
司会は小学校以来の親友K君だったこと、カラオケ大好きな自分が歌ったこと、琴を教える免状を持つ妹が演奏してくれたこと、など薄れつつあった記憶が映像で確認できた。
ちなみに、司会をやってくれたK君は一昨年に癌で急逝した。
ついでに言うと、結婚披露宴の司会を3回やった。
元来大勢の人前で話すのが苦手なのに、何故かどうしてもやってほしいと頼まれて、いやとも言えず引き受けた。
1回目はわけもわからず、2回目はボロボロで終わり、3回目は帝国ホテルという大舞台ながらなんとかつつがなくやり終えた。
横浜市港北区篠原西町に家を借り、東急東横線「白楽」から渋谷支店に通った。
その後、横浜市港北区大倉山にマンションを買い、移住。東急東横線「大倉山」から通勤。
大学時代に住んでいたのは東小金井だったので、横浜方面にあまり縁がなく、休日になると鎌倉や横浜港周辺によく出かけた。
両親が来るとやっぱり鎌倉を案内した。
両親は大倉山から近い「新横浜」から新幹線で帰った。
当時の新幹線。
ホームから見える、まだほとんど建物がない土地には今は建物がたくさん建っているに違いない。
このあとの8mmフィルムは、だんだんお腹が大きくなる妻の姿があり、やがて初めての子、長男誕生。
義父母、義妹が来た時もやっぱり鎌倉へ。
初めてのわが子が可愛くて、8mmフィルムで撮りまくる。もちろん写真も。
長男が歩けるようになったところで、8mmフィルムでの撮影は終わる。
2番目の子、長女の誕生以降は、ビデオテープVHSで撮るようになった。
その後ビデオカメラ用のVHS-Cで撮るようになり、さらにHi8で撮るようになった。
VHS、VHS-Cはかなり前に自分で編集しながらDVDへダビングし、Hi8はビデオカメラが故障して再生できなくなったため数年前に業者に委託してDVDへのダビングが終了。
ということで、持っていても映像が見れない8mmフィルムと、大量のビデオテープを全部捨てよう。
去年12月25日、2年ぶりに娘夫妻と二人兄弟の孫がやってきた。
孫は中一と小五になっていて、千葉と福岡と離れていて2年間のブランクがあり、かつてのように「おじいちゃーん」と言って近づいてくることはなかった。
ただ、親子だって子供の成長とともに距離感ができてきて親離れをしていくので当然のこととは思う。
上の中一の子は160cmを超える身長になっており、子供はどんどん成長していくんだなあとつくづく思った。
初日は、わが父母が眠る菩提寺へお参り。
夜は娘ファミリーで博多駅周辺のクリスマス・イルミネーションを楽しんだようだ。
2日目は、糸島のヤシの木ブランコへ。
孫二人とも潮干狩りの経験はあるものの、砂浜の波打ち際は初めてだったようで、ズボンの裾と靴をびしょびしょに濡らしながら、長いこと寄せる波で遊んでいた。
糸島といえば牡蠣小屋が名物であり、そこで遅めの昼食を。
孫二人ともカラオケが大好きで、帰りにカラオケに寄った。
二人で代わる代わる歌っていたが、槇原敬之の歌なんかを歌っていたのは意外だった。
娘によれば、今はネットで古い歌が聞けるので、子供たちにはけっこう古い歌も流行っているらしい。
3日目は太宰府遊園地へ。
昔ながらのレトロな遊園地は今や貴重な存在らしい。
太宰府天満宮は本殿が124年ぶりの「令和の大改修」中であり、本殿の前に仮殿が設けられている。
仮殿の屋根は鎮守の森の豊かな自然をコンセプトとしているそうだ。
参道は平日にもかかわらず大勢の人で賑わっていた。
帰りはボウリングがしたいというので、ボウリング場へ。
もう何十年もボウリングはしたことがなく、ここでボウリングなんかやると、翌日か翌々日に体のあちこちが痛みそうなので見るだけにした。
でも、見ていると、昔取った杵柄がムズムズして、ちょっと後悔した。
というわけで、瞬くうちに3日間は過ぎていった。
9年前の、小さな孫の手を両手につないでいた至福のひとときが懐かしい。
自宅から歩いて行ける距離にちょうど三つの神社がある。
和田宝満神社。
祭神は玉依姫命、神功皇后、応仁天皇。
玉依姫命は、初代天皇である神武天皇の母。
かつては神社の前は一面の田圃で、農業用水路には魚がいたし、夏になると平家蛍が飛んでいたが、今は住宅密集地となっている。
三宅小学校に隣接するこの場所には、かつて、本家の自宅と博多織工場があり、その一角で生まれ育った。
博多織に囲まれて育ち、いつも手機の音が鳴り響いていた。
年末には本家に親戚が集まり土間で餅つきをするのが恒例だった。
小学校が隣なので忘れ物をした時は便利だった。
小学校のすぐそばに住んでいる同級生がいて、発売開始したばかりの電気洗濯機を買ったというので、みんなで見に行った。
洗濯後は洗濯物をロールに挟んで水を搾り取る方式だった。
その同級生はもうそこには住んでおらず、今は新興宗教らしい建物が建っている。
小学校の近くにある文房具店兼駄菓子屋の建物は今も残っている。
三宅小学校に隣接する若八幡宮。
祭神は宇佐神宮を総本宮とする八幡神。
今は小学校の校庭と神社の境内の間は金網で仕切られているが、昔は仕切りがなく自由に出入りできたので、昼休みなどは校庭の延長みたいに境内を走り回っていた。
本家から別のところに引っ越した後、小学校への通学路だった道で、こんなに狭かったのかとつくづく思う。
もちろん当時は道沿いに家などなく、未舗装路だった。
野多目池の畔にある照天神社。
祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。
ミサゴが魚を獲るところが撮れますようにと祈るつもりだったのに、去年と同様、実際にお祈りする時には忘れてしまった。
森のところが照天神社で、一応カメラと望遠レンズを持ってきたが、ミサゴは現れず、ミコアイサもいなかった。
せっかくなので普段は撮る気がしないカイツブリを。
箱根駅伝でわが母校が総合4位となり、久しぶりの上位に入った。
3位になりそうだったのに惜しかった。3位だったら7年ぶりの快挙だった。
最後に優勝したのはいつか調べてみると、2011年で、もう14年も前になる。
わが映画コレクションは現時点で842本。
かつては1,000本を超えていたが、毎日1本見ても1年で365本しか見れず、全部見るには何年もかかるので、減らした。
これ以上何度も見たいと思わない映画、映画通には評価が高いが僕的には芸術性がうんざりする映画などを売却。
コレクションのなかで、最も古い映画は1925年ソ連製作の無声映画「戦艦ポチョムキン」。
下層階級である水兵が艦長など上級将校の非道な仕打ちに対して反乱を起こすという、共産主義革命のプロパガンダ映画だが、映画としてぐいぐい引き付けるパワーがある。
有名な「オデッサの階段」シーンは、ケビン・コスナー主演「アンタッチャブル」で乳母車が階段を落ちるシーンに模倣された。
ショスタコービッチの音楽が映像を盛り上げている。
無声映画はもう一本ある。
1927年公開のフランス映画「ナポレオン」で、賞賛を得ながらも埋もれてしまっていたのをフランシス・フォード・コッポラ監督が修復・復元し、4時間版として1981年に公開した。
日本公開版は黒澤明が監修している。
少年期の兵学校時代からイタリア遠征軍司令官として進軍するまでが描かれているが、この映画もパワフルで、見ているうちにどんどん引き付けられる。
ただ、3時間42分と長いので二日に分けて見ることになる。
「戦艦ポチョムキン」もそうだが、動員エキストラ数がすごい。
邦画で最も古いのは1935年製作の「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」。
コミカルで人情味溢れる素晴らしい映画だ。
コレクションのなかで、最も新しい映画は、2023年公開の「ゴジラ-1.0」。
絶賛コメント多数だったので、ブルーレイディスクを購入。
絶賛とまではいかないが、面白さはまあまあ、かな。ディスクを買って後悔しない範囲のレベルではあった。
ゴジラの破壊力より人間ドラマに力点を置いたところが今までのゴジラ映画と違う。
SFXは迫力十分ではあったものの、まだアメリカのレベルには達してないと思った。
コレクションのなかで中古市場で最も高額なのが1998年公開の「ザ・グリード」。
今はⅮⅤⅮが生産がされていないことから希少性が高く、amazonの中古販売価格を見ると、なんと22,500円!
面白い映画ではあるが、映画としての価値と価格が見合っているとは思えない。
コレクションのなかでも特に好きな映画やSFXの大迫力を100インチの大画面で堪能したい映画はDVDからブルーレイディスクに買い替えている。
ところがその買い替えでガッカリした映画が2本。
1本は「グラディエーター」で、DVDの時のしっとりした美しい色彩感がなくなっていて、本当にガッカリした。
ブルーレイディスクの購入と同時にDVDは売却してしまっているのでどうしようもない。
もう1本は「エル・シド」で、「intermission」直後の2時間1分のところで音声に難あり。
好きな映画だけにとても悔しい。
チャールトン・ヘストンはその存在感が抜きんでた不世出の偉大な俳優だ。
「ベンハー」「十戒」「エル・シド」「猿の惑星」はブルーレイディスクに買い替えた。
これらの映画と比べると「北京の55日」は作品的には落ちるので、DVDのままにしている。
日本の軍人として伊丹十三が出演しているが、ichizo itami と出ているので、この頃は一三と名乗っていたようだ。
さて、この年末年始、どの映画を見ようかなー。
今年は紅葉が遅れ気味だったので、まだ大丈夫ではないかと思い、筥崎宮に出かけてみた。
紅葉はまだ十分残っていたが、きれいな赤にはなっておらず、色付きがいまひとつだった。
ただ、茶色がかったくすんだ赤でも、太陽の光を浴びれば赤く輝き、PLフィルターで葉の表面の反射を除去すればさらに赤味が増すことが多い。
園内には誰もおらず、独占状態だったが、中国人夫婦と娘の三人がやってきて、さかんに記念写真を撮っていた。
彼らが去ってしまうと再び無人状態になり、退出するまで誰も来なかった。
おかげで、それまで誰もいなかったのにカメラを構えた途端、構図のなかに誰かが入ってくるという、よくあるパターンはなかった。
友泉亭は、福岡藩六代藩主黒田継高の別荘。
ここに紅葉を撮りに来ると、必ず結婚式の事前撮影に出会う。
今回も一組いた。
プロカメラマンとレフ板等を持った助手で撮影しているが、料金はどれぐらいなのだろうかと余計なことを考える。
ここは相性が悪いのか、紅葉の状態と天気に恵まれないことが多い。
今回も、紅葉は過去最低の状態、天気は終始曇りで時折日が差す程度。
ただ、自宅から車で20分ぐらいと近いのと、高齢者優遇で入園料が無料なのがいい。
江戸時代は敷地が2万8000坪だったらしいが、現在は3000坪の敷地で、それほど広くないので1日1万歩に向けての歩数を稼げない。
1周1000歩ぐらい。
4周することもあるが、今回は予定もあって2周して帰路についた。