きままなドライブと写真、そして映画

晴れの日はドライブ・写真、雨の日は映画、曇りの日は・・・迷う

なつかしのビデオ映像

2020-01-27 21:33:08 | Weblog

昔は8mmフィルムで動画を撮っていた。
最初の子である長男が生まれた頃は、まだフィルムだった。
2番目の子である長女が生まれた頃に、フィルムからビデオテープに切り替えた。
重たいポータブルデッキを肩にかけ、それと繫いだカメラで映像を撮る。
やがてデッキとカメラが一体型になり、だんだん小型化していった。
ビデオテープになってからの機器の進化が、ちょうど子供の成長を撮ることに重なった。
最初はVHSテープで、後半はソニーの8mmテープで撮影した。
子供が小学生の頃までは頻繁に撮っているが、中学生になって以降は極端に撮影頻度が減っていった。
そりゃそうだ、僕だって中学生あたりから親と一緒にいるより友達と一緒にいるほうが増えた。
親と一緒の行動が減る。
どこかへ行くにしても、子供はついてこず、夫婦二人だけで出かけることが多くなった。

ビデオテープは劣化していくので、過剰な長回しのような余計な部分をカットするなどの編集をしながら、DVD化する作業に取り組んだ。
しかし、VHSテープのDVD化を終え、8mmテープをカメラで再生してパソコンに取り込んでいる途中、カメラの駆動部分に不具合が生じ、再生できなくなった。
ついに懸念していたカメラが故障してしまい、テープを取り出すと傷が付いていた。
作業を続行するには、8mmテープの再生デッキを買うかレンタルで借りるかしかなく、料金等を調べているうち面倒になって中断状態になった。
それから10年以上は経ってるだろうか。
このままでは、せっかく撮った、まだDVD化してないビデオテープを見ないまま終わってしまう。

今回、8mmテープをDVDにダビングする業者に発注した。
カメラ内で傷ついたテープは再生不能ということで、ダビング不適格とされた。
でも、それ以外のダビングされたDVDで、作業中断以降の、1993年以降撮影のビデオ映像がやっと見れるようになった。
初めて単身赴任した名古屋支店時代の夏、家族が遊びに来て、木曽駒高原、御嶽山、奈良井宿などを回ったのは、久しぶりの家族揃っての旅行だった。
その名古屋時代、妻が撮って送ってくれた、中学生だった長女の合唱祭の映像。
それまで聞いたことのない、日ごろの言動から想像もできない、ソロで歌う長女の声を聞いてびっくりしてしまった。
長女の歌を褒めたたえる先生の講評を聞きながら、思わず涙してしまったことを思い出す。
講評のなかで「親から受け継いだ声帯が素晴らしい・・・」のくだりに大いにうなずいたものだ。

20代だった頃を中心に撮りためた多量の8mmフィルムもずっと保管している。
ビデオテープに切り替えてから、多分一度も見ていない。
いつか見るつもりで共に保管してきた映写機がまだ動くのかどうか。
湿気でフィルムがくっついているかもしれない。
一度こちらも見てみよう。


那珂川で
ジョウビタキに久しぶりに出会った。
まんまるのつぶらな目がかわいい。

オス






メス






梅が咲く前に、
メジロを見るのは珍しい。





モズ






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カワセミの水浴び

2020-01-22 20:08:41 | Weblog

那珂川も、以前は目の前で魚を捕ったりホバリングしたり、とても愛想のいいカワセミがいたのに、今はつれない素振りのカワセミばかり。
川沿いをウォーキングしながら姿を探しても、じっと隠れて姿を見せないか、姿を見せてもすぐにどこかへ消えてしまう。
魚を咥えて水上に飛び出した瞬間を撮りたいと思うのに、そんなチャンスはくれそうもない。
冷たい仕打ちの繰り返しに、だんだん諦めの気持ちになってくる。
福岡に来る前にカワセミを撮っていた京都某所はほんとによかったなあと嘆息する。
そんな日々が過ぎるなか、この日は突然、水浴びショーを見せてくれた。
何度も水に飛び込んで水浴びをする。
対岸なので400mmの望遠では遠く、写真をトリミングすると鮮明さに欠けるが、滅多にない水浴びショーをやってくれた。
ただ、やっぱり嘴に魚がないのはさびしいし、水浴びの飛び込みのせいかシブキの飛び散る量が少ない。
次回は、魚捕りショーをぜひやってほしい。
そしたら、今や宝の持ち腐れとなっている本気レンズの500mmを持ち出せる。
お願いだ。頼む。
































ついでに、別の日に撮ったのも・・・
後ろ姿だしシブキもないし魚もイマイチ・・・



咥えているのはエビで、半透明なのでよくわからない。














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万博記念公園にて

2020-01-20 20:40:37 | Weblog

滋賀で一緒に仕事をしていた人たちから誘いがあって、大阪での彼らの飲み会に参加することになった。
退職して三年以上経っているのに、まだ僕の存在を覚えてくれていたらしい。
飲み会だけで福岡にトンボ返りするのも勿体ないので、どうするか考えた。

滋賀にいた頃のこの時期は、湖北に白鳥撮影に行くのが楽しみだった。
その帰りに、「七本槍」というお酒を造っている、木ノ本の冨田酒造に寄って、期間限定生産のお酒を買うのも楽しみだった。
福岡には白鳥が飛来しないので、やっぱり白鳥撮影がしたい!
できれば「七本槍」を買って帰りたい!
ただ、白鳥撮影をしようとすると、500ミリレンズ、三脚などの大型機材になるし、撮影地までの足も必要になるので、車で行くことになる。
福岡から700kmの距離を走り、高速道路料金、ガソリン代など計算すると新幹線よりかなり割高になり、せっかく行っても天気が悪くて撮影できない可能性、飲み会翌日の朝に早起きできない可能性、等々を考えた結果、断念した。

一度チャレンジしたいと思っていた、千里川土手からの伊丹空港の飛行機撮影も、夕方から夜にかけての撮影となり、帰りが遅い時間になってしまうので、それも断念。

新幹線往復を前提に、レンタカーを借りず、公共交通機関で行けるところ。
大阪城は何回か行っているので、万博記念公園に行くことにした。

飲み会の翌朝、やっぱり早起きは無理だった。
飲み会では、うれしいことに、僕が好きな「七本槍」をちゃんと用意してくれていて、ちょっと飲みすぎた。
白鳥撮影は早朝現地到着が必須で、風が強い日などは午前9時ぐらいまでに全ての白鳥が飛び立ってしまって、いなくなってしまう時がある。
年々カメラマンが増えて、遅めに行くと駐車場所が確保できなくなってきていたので、白鳥撮影を断念していてよかったと改めて思った。

日本万国博覧会は1970年に開催された。
当時、僕は大学生で、つきあってたコと一緒に、まだ東京ー新大阪間しか走っていなかった新幹線に乗って
東京から行った思い出があるが、仔細割愛。
アンハッピーなその思い出も、もしその当時にスマホがあれば・・・
それ以来、50年ぶりに現地を訪れることになる。

場内に入ってすぐ、正面に「太陽の塔」があり、両脇にアイスチューリップが咲いていた。















一万歩達成も意識しながら広大な園内を歩く。
早めの梅が咲いてないかと期待したが、日本庭園内の梅林に花は全くなかった。
薔薇園があったが、イマイチ撮影意欲湧かず。



あちこちに咲いていたのは山茶花。



一眼レフカメラを持った人がけっこういたので、どこかいいところがあるのかと期待したが、特に何もなかった。
結局、入り口近くのアイスチューリップが今の目玉らしい。






万博記念公園に行く途中の電車のなかで、座っていた小学生の男のコに「どうぞ」と席を譲る声をかけられたが、「大丈夫だよ」と笑顔で拒否した。
万博記念公園から新大阪に向かう電車のなかで、座っていた小学生の女のコに「どうぞ」と席を譲る声をかけられたが、「大丈夫だよ」と笑顔で拒否した。
大阪の子供ってこんなにちゃんとしてるのかと意外でもあり、感心もした

同時に、2度も子供に声をかけられ、そんなにジジイに見えるのかと複雑な思い。
フルサイズ一眼レフ2台、レンズ3本、その他が入った、ずっしり重いカメラリュックを背負ってシャキッとして立っているのに。
最近、眉毛の白髪が増えたような気がする・・・





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筥崎宮 花庭園の冬ぼたん

2020-01-18 22:26:05 | Weblog

暖冬で暖かい日が続いている。
たまにマフラーと手袋が必要な寒い時がある一方で、ジャケットを着て歩いているうち汗ばむ時もある。
家の中では外の気温がわからないので、外出する時、ジャケットをダウンにするのか薄手でいいのか迷ってしまう。

この日は暖かな日差しだった。
藁囲いの冬ぼたんには雪が似合うが、この調子ではとても雪が積もる日がやってくるとは思えない。




























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野多目池の野鳥 ミコアイサの水遊び

2020-01-14 19:39:27 | Weblog

キンクロハジロの大群がいなくなって、すっかりさびしくなってしまった野多目池に、ミコアイサはまだ残っていた。
別名パンダガモと言われる、黒と白の模様がさらにはっきりしてきたようだ。

ミコアイサは、嘴を羽に突っ込んで休んでいるか
水面を泳ぎながら移動しているか
そのどちらかで、あまり動きがない。
だから、「ここにミコアイサという珍しい鳥がいましたよ」という証拠写真を撮ってしまうと、あとはいくら撮っても同じような写真になってしまう。








ところがこの日、どういう風の吹き回しか、ミコアイサがいつになく活発な動きを見せた。

水浴び





場所を移動してまた水浴び(後ろ姿)


場所を移動してまたまた水浴び



そのうち水面を蹴って走り出した。






羽ばたいて一瞬飛び上がったと思ったら


すぐに着水。


そしてまた水浴び








そして今度は羽ばたき



場所を移動してまた羽ばたき



またまた羽ばたき


・・・と大サービスのミコアイサ君だったが、後日、野多目池に行くともうその姿はなかった。
また会えるのは今度の冬かなー。

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野多目池の野鳥 キンクロハジロ

2020-01-09 01:31:50 | Weblog

誰かが400羽くらいと言っていたので、多分400羽くらいなのだろう。
野多目池に越冬にやってくる鳥の中で一番の大群がキンクロハジロである。
水面に浮かんでじっとしているか、泳いでいるかのどちらかで、群れ全体にあまり動きがない。
空を飛ぶこともなく、いつも静かなキンクロハジロの群れは、野多目池の冬の見慣れた風物詩だ。
特に珍しい鳥でもなく、動きもないので、あまり写真を撮る気がしない。

突然、群れ全体がざわつきだした。
今までキンクロハジロのこんな状態は見たことがない。
飛び上がったと思ったらすぐに着水し、そしてまた飛び上がる・・・そんなことを繰り返しながら、群れ全体が池の中を移動している。
何かに怯え、警戒しているのか。
上空を見上げたが、ハヤブサなどの猛禽類の姿はなかった。
理由はわからないが、初めて見るキンクロハジロの異様な動き。
とりあえずあわててシャッターを切る。

数日後、野多目池に行くと、キンクロハジロの大群が消えていた!!!
数十羽は残っていたが、ほとんどいなくなっていた。
まだ北へ帰る時期ではないので、別のところに移動したのに違いない。
キンクロハジロの大群がいなくなって、野多目池はすっかりさびしくなってしまった。
何があったのか、キンクロハジロに聞いてみたい。



























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野多目池の野鳥 タカブシギ

2020-01-07 21:45:14 | Weblog

あまり見かけぬ鳥がいた。
シギの仲間であることは間違いない。
家に帰って調べると、タカブシギという名前のシギのようだ。
ユーラシア大陸北部で繁殖し、日本には全国的に飛来するが、関東地方より南部では少数が冬鳥として越冬する。
日本では環境庁により絶滅危惧II類の指定を受けており、福岡県でも絶滅危惧II類に指定されている。
平成19年度重要生態系監視地域モニタリング推進事業で干潟生態系の指標生物群のシギ類の一種として、全国の主な生息地で飛来数調査が行われている










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自宅から歩いて巡る三社参り

2020-01-04 00:48:38 | Weblog

僕のいくつかのウォーキングコースのなかに、ちょうど神社が三つある。
三つの神社とも、ウォーキングで訪れる時はほとんど人に出会うことはないが、さすが正月、人がいた。

まずは野多目池の畔にある照天神社。
祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。
こんな田舎の小さな神社に、イザナギ、イザナミのような大きな神が祭られているのが不思議だ。
神社の名前も天照大神にちなんだような名前で、神社の規模の割に祭神や名前が大きい。
まー、どうでもいいけど。
最近ミサゴに会えなくなっているのは、この神社にお参りせず、直接野多目池に行っているせいなのかなー。

左側の森の中に照天神社がある。











次は和田宝満神社。
祭神は玉依姫命、神功皇后、応仁天皇。
玉依姫命は、初代天皇である神武天皇の母。

この住宅街の先の小山が和田宝満神社。








ラストは、母校・三宅小学校に隣接する若宮八幡宮。
祭神は宇佐神宮を総本宮とする八幡神。
今は神社の境内と小学校の校庭の間にフェンスができているが、僕が小学生の頃はフェンスがなかった。
なので、境内は校庭の延長みたいな位置づけで、休み時間は校庭と境内を行ったり来たりで走り回っていた。
境内の土を掘り起こすと黒曜石の矢じりが出てきたような記憶があるが、遠い昔の記憶で定かでない。
子供の時から馴染みある神社ではあるが、神社の名前や祭られている神様は今初めて知った。
ただ、幟は「若八幡宮」と書かれているが、地図では「若宮八幡宮」と記されている。
一体どっちなんじゃー。








境内に「三宅」という地名についての説明文が掲げられている。


写真はスマホで撮影。










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年賀状

2020-01-02 00:48:47 | Weblog

年賀状は、遠隔地でなかなか会えない人との年一度の交流だと思っている。

僕が20歳台でカケダシだった頃の取引先の人をはじめ、取引先の人達がいまだに年賀状をくれるのが、感慨深い。
そういった、仕事を通じて親しくしていただいた人達のなかには、既に故人となられた方も何人かいる。
奥様が年賀状出状先リストから喪中欠礼の葉書を出されることで、亡くなられたことを知る。
年賀状のやりとりがなければ、亡くなられたことを知ることがない。

長年東京で仕事をしていて、その間は、高校時代の友人達とはほとんど年賀状だけの交流だった。
それが故郷の福岡に40年ぶりに帰って、定期的な飲み会をやってくれているのは本当にうれしい。

逆に、福岡で生まれ育った時間より長い時間を共に過ごした東京勤務時代の友人達とは年賀状だけのつきあいになっている。
しかも、年賀状のやりとりはもうトシなので今回限りで終わりにしたいという年賀状が去年、友人二人から届いた。
それは今後、年賀状一切をしないという宣言だった。
僕自身は親友と思っていた友人二人なだけに、交流が絶たれる思いでひどくがっかりした。
共に楽しい時を共有し、仕事への思いを共有し、酒を飲んで忌憚なく語り合った時間を共有したのは、もう単なる過去の話となり、次第に忘却の彼方に去っていくのだろうか。
所詮、人生の最後のところでは孤独に戻っていくのかもしれない。
とはいえ、僕の部下だった人達が、一緒に仕事をした後の時間の経過にかかわらず、けっこう毎年年賀状を送ってきてくれている。
年賀状の写真の、赤ん坊だった彼らの子供がだんだん成長し、今は社会人となっていたりして、部下のトシと自分のトシを感じる。
たまに、かつて一緒に仕事をした仲間から突然電話が入ることがある。
そういう時はたいてい飲み屋からで、飲んで話しているうちに僕に電話してみようかというパターンである。
相手はお酒が入っていい調子。相手は複数、こちらは一人。こちらもお酒が入っていたりシラフだったり。
ま、僕という存在を覚えてくれている人達がまだまだいるということで、まーいいか。

妹からもらったこのお酒。
意外と好きなタイプではあった。
ウィー。


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