ウォーキングをしていると、道端に座り込んでいるお爺さんの姿が目に入った。
単に休憩しているだけなのか、動けなくなってしまっているのか、後ろ姿ではよくわからなかった。
とりあえず、通り過ぎてウォーキングを続けた。
何人もの人とすれ違ったので、もしお爺さんに助けが必要な状況になっていれば、きっと誰かが声をかけているに違いない。
折り返し地点に着いたので、来た道を戻った。
すると、同じ場所にお爺さんがまだ座ったままだった。
今度は正面からなのでお爺さんの様子がわかる。
顔に血の気がなく、顔面蒼白になっていて、助けが必要な状態であることは明らかだった。
近寄って「大丈夫ですか」と声をかけると「少しはましになってきた」との返事。
「どこか連絡するところはありますか」と尋ねると、「タクシーで帰りたいので」と暗記しているタクシーの電話番号を教えてくれた。
その番号に電話すると、呼び出してはいるものの応答はなく、やがて留守番電話に切り替わった。
近所でよく見かける「大鵬タクシー」をGoogleで検索し、電話した。
「自分が乗るわけではないが、身動きできなくなっているお年寄りがいるので、配車をお願いしたい」と言うと、5分ぐらいで行けるとのこと。
タクシー会社に電話している間に、お爺さんはフェンスにつかまりながらようやく立ち上がっていた。
顔色も少し良くなっているように見えた。
間もなくタクシーがやってきた。
運転手に再度事情を説明し、「ひょっとしたら近い距離かもしれませんが、よろしくお願いします」と言うと、運転手は無言の反応だった。
運転手と話している間に、タクシーが来るまで日陰で休んでいたお爺さんがこちらにゆっくりと歩いてきていた。
「タクシー代はありますか」と聞くと「大丈夫」との返事。
お爺さんがタクシーに乗り込むのを見届けて帰路についた。
それにしても、すれ違った人たち全員がお爺さんを無視していたことやタクシーの運転手の態度・・・福岡は情に厚いという今までの認識は幻想だったのだろうか。
排他性がなく、他所から来た人にも「よー、来んしゃったねー」と暖かく迎え入れる。
「なんでオレが福岡くんだりまで行かなきゃいけないんだ」と文句を言いながら福岡支店に転勤になった同期のヤツが、東京に戻ってきた時にはすっかり福岡ファンになっていた。
東京生まれ、東京育ちの部下が福岡支店に転勤になり、すっかり地元に馴染んでしまって、なんと驚いたことに、福岡で仕事を見つけて転職し、住みついたということもあった。
でもそんなことは、今はもうないのかもしれない。
40年ぶりに福岡に帰って驚いたのが、運転マナーの酷さだ。
それまでは滋賀が最悪と思っていて、その前は高松が最悪と思っていたが、一番酷かったのが故郷の福岡だった。
他人のことなど構わず自分さえよければいい身勝手運転。
それがいつだったか忘れるくらい長い期間クラクションを鳴らされたことはなかったが、福岡に来てクラクションでプレッシャーをかけられたこと数度。
リスクを強制するようなクラクションなど最低。
千葉に住んでいた時は、自宅から車で10分足らずのところに、あじさい寺と言われる本土寺があった。
あじさいは梅雨の花であり、雫をつけた花に風情がある。
雨が上がるとすぐに車を飛ばして本土寺に出かけたものだ。
上から覗き下から見上げたりしていろいろな角度から写真に良さそうな雫を探す。
膝をつきたくても地面が濡れているので、窮屈な姿勢になったりする。
あじさいの花についた雫のなかにあじさいが映りこんでいる、そんな雫を探す。
そんなことを思い出していると、昔は多少なりとも向上心があったんだなあと思う。
そういえば、あじさいを撮るのに霧吹き持参の人やカタツムリ持参の人がいた・・・