きままなドライブと写真、そして映画

晴れの日はドライブ・写真、雨の日は映画、曇りの日は・・・迷う

筥崎宮花庭園の冬牡丹

2025-01-24 11:32:17 | Weblog

今年もまた筥崎宮花庭園の冬牡丹の季節がやってきた。
せっかく雪よけの藁帽子をかぶっているので、雪が積もった時に撮ってみたい。
ただ、実際に雪が積もるとノーマルタイヤの車では行けなくなり、公共交通機関を乗り継いで行くしかないので、結局行かないことになりそう。



































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8mmフィルムのDVDが届く

2025-01-18 19:19:19 | Weblog

持ち物整理の一環として、40年以上放置していた8mmフィルムを見ようとしたら、懸念していた通り映写機が壊れていた。
リールは10本あり、見れないのであれば捨てようかといったんは思ったが、せっかく保管してきたので、富士フイルムに8mmフィルムのDVDダビングサービスを依頼。

2ヶ月を経て、それがようやく届いた。

画質は粗く、経年劣化で色褪せていた。
それでも、映像を見ていると、すっかり忘れしまった、はるか昔の記憶が蘇ってくる。

東京で就職したが、最初の勤務地は故郷の福岡支店だった。
入ってしまえばあとは辞令一本で日本全国どこでも転勤させられる
身となるので、最初は地元に返してやろうという方針だった。
同時に、東京生まれの東京育ちは地方を経験させようと、それも地方勤務となった。
つまり新人は全員地方勤務からスタートした。
そして、8mmフィルムの撮影は、福岡支店勤務時代から始まっている。

最初の映像は昭和50年、つまり50年も前になる。
今はもう多分やってないと思うが、当時は社員旅行が当たり前だった。
一年に一回、支店全員で一泊二日の旅行に出かけた。
支店全体のほか、各セクションごとに旅行やドライブもあった。
今の若い人は休日まで職場の人間とつきあうのは忌避感があると思うが、当時はみんなけっこう楽しんでいた。

夜の宴会では、新人が中心になって寸劇を演じるのが恒例だった。
演じている方も見ている方も大いに盛り上がった。









山登りが好きで、職場で部を作ると人事部から補助金が出ると聞いて、ワンダーフォーゲル部を作った。
登山部とすると本格登山のイメージになるので、参加しやすいイメージのワンダーフォーゲル部にした。
九州の名峰、久住山(1786m)に登った時に8mmフィルムで撮っており、映像を見ていると15人くらいの参加者がいたようだ。





リール10本のうち2本はわが夫婦の結婚式で、1本は僕側の誰か、1本は妻側の誰かが撮ったと思われる。
当時は渋谷支店勤務だったが、妻も福岡であり、式は地元福岡で挙げた。

遥か遠い彼方に去っていた自分の結婚式の記憶が、映像を見ているうちに朧げに蘇ってくる。
渋谷支店からは支店長、直属上司の課長などが出席、ほか勤務先の親しい同期や先輩、大学時代の友人達が東京から出席してくれた。
母は関西出身なので、母の親戚は大阪から来てくれた。

司会は小学校以来の親友K君だったこと、カラオケ大好きな自分が歌ったこと、琴を教える免状を持つ妹が演奏してくれたこと、など薄れつつあった記憶が映像で確認できた。
ちなみに、司会をやってくれたK君は一昨年に癌で急逝した。
ついでに言うと、結婚披露宴の司会を3回やった。
元来大勢の人前で話すのが苦手なのに、何故かどうしてもやってほしいと頼まれて、いやとも言えず引き受けた。
1回目はわけもわからず、2回目はボロボロで終わり、3回目は帝国ホテルという大舞台ながらなんとかつつがなくやり終えた。









横浜市港北区篠原西町に家を借り、東急東横線「白楽」から渋谷支店に通った。
その後、横浜市港北区大倉山にマンションを買い、移住。東急東横線「大倉山」から通勤。
大学時代に住んでいたのは東小金井だったので、横浜方面にあまり縁がなく、休日になると鎌倉や横浜港周辺によく出かけた。

両親が来るとやっぱり鎌倉を案内した。






両親は大倉山から近い「新横浜」から新幹線で帰った。



当時の新幹線。
ホームから見える、まだほとんど建物がない土地には今は建物がたくさん建っているに違いない。



このあとの8mmフィルムは、だんだんお腹が大きくなる妻の姿があり、やがて初めての子、長男誕生。







義父母、義妹が来た時もやっぱり鎌倉へ。



初めてのわが子が可愛くて、8mmフィルムで撮りまくる。もちろん写真も。













長男が歩けるようになったところで、8mmフィルムでの撮影は終わる。
2番目の子、長女の誕生以降は、ビデオテープVHSで撮るようになった。
その後ビデオカメラ用のVHS-Cで撮るようになり、さらにHi8で撮るようになった。
VHS、VHS-Cはかなり前に自分で編集しながらDVDへダビングし、Hi8はビデオカメラが故障して再生できなくなったため数年前に業者に委託してDVDへのダビングが終了。
ということで、持っていても映像が見れない8mmフィルムと、大量のビデオテープを全部捨てよう。

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2年ぶりの孫との再会

2025-01-08 18:41:58 | Weblog

去年12月25日、2年ぶりに娘夫妻と二人兄弟の孫がやってきた。

孫は中一と小五になっていて、千葉と福岡と離れていて2年間のブランクがあり、かつてのように「おじいちゃーん」と言って近づいてくることはなかった。
ただ、親子だって子供の成長とともに距離感ができてきて親離れをしていくので当然のこととは思う。

上の中一の子は160cmを超える身長になっており、子供はどんどん成長していくんだなあとつくづく思った。

初日は、わが父母が眠る菩提寺へお参り。
夜は娘ファミリーで博多駅周辺のクリスマス・イルミネーションを楽しんだようだ。




2日目は、糸島のヤシの木ブランコへ。



孫二人とも潮干狩りの経験はあるものの、砂浜の波打ち際は初めてだったようで、ズボンの裾と靴をびしょびしょに濡らしながら、長いこと寄せる波で遊んでいた。














糸島といえば牡蠣小屋が名物であり、そこで遅めの昼食を。



孫二人ともカラオケが大好きで、帰りにカラオケに寄った。
二人で代わる代わる歌っていたが、槇原敬之の歌なんかを歌っていたのは意外だった。
娘によれば、今はネットで古い歌が聞けるので、子供たちにはけっこう古い歌も流行っているらしい。

3日目は太宰府遊園地へ。
昔ながらのレトロな遊園地は今や貴重な存在らしい。







太宰府天満宮は本殿が124年ぶりの「令和の大改修」中であり、本殿の前に仮殿が設けられている。
仮殿の屋根は鎮守の森の豊かな自然をコンセプトとしているそうだ。


参道は平日にもかかわらず大勢の人で賑わっていた。



帰りはボウリングがしたいというので、ボウリング場へ。





もう何十年もボウリングはしたことがなく、ここでボウリングなんかやると、翌日か翌々日に体のあちこちが痛みそうなので見るだけにした。
でも、見ていると、昔取った杵柄がムズムズして、ちょっと後悔した。

というわけで、瞬くうちに3日間は過ぎていった。

9年前の、小さな孫の手を両手につないでいた至福のひとときが懐かしい。


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ぶらぶら歩いて三社参り

2025-01-03 18:59:09 | Weblog

自宅から歩いて行ける距離にちょうど三つの神社がある。

和田宝満神社。
祭神は玉依姫命、神功皇后、応仁天皇。
玉依姫命は、初代天皇である神武天皇の母。









かつては神社の前は一面の田圃で、農業用水路には魚がいたし、夏になると平家蛍が飛んでいたが、今は住宅密集地となっている。



三宅小学校に隣接するこの場所には、かつて、本家の自宅と博多織工場があり、その一角で生まれ育った。
博多織に囲まれて育ち、いつも手機の音が鳴り響いていた。
年末には本家に親戚が集まり土間で餅つきをするのが恒例だった。




小学校が隣なので忘れ物をした時は便利だった。
小学校のすぐそばに住んでいる同級生がいて、発売開始したばかりの電気洗濯機を買ったというので、みんなで見に行った。
洗濯後は洗濯物をロールに挟んで水を搾り取る方式だった。
その同級生はもうそこには住んでおらず、今は新興宗教らしい建物が建っている。

小学校の近くにある文房具店兼駄菓子屋の建物は今も残っている。



三宅小学校に隣接する若八幡宮。
祭神は宇佐神宮を総本宮とする八幡神。









今は小学校の校庭と神社の境内の間は金網で仕切られているが、昔は仕切りがなく自由に出入りできたので、昼休みなどは校庭の延長みたいに境内を走り回っていた。

本家から別のところに引っ越した後、小学校への通学路だった道で、こんなに狭かったのかとつくづく思う。
もちろん当時は道沿いに家などなく、未舗装路だった。



野多目池の畔にある照天神社。
祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。
ミサゴが魚を獲るところが撮れますようにと祈るつもりだったのに、去年と同様、実際にお祈りする時には忘れてしまった。











森のところが照天神社で、一応カメラと望遠レンズを持ってきたが、ミサゴは現れず、ミコアイサもいなかった。
せっかくなので普段は撮る気がしないカイツブリを。



箱根駅伝でわが母校が総合4位となり、久しぶりの上位に入った。
3位になりそうだったのに惜しかった。3位だったら7年ぶりの快挙だった。
最後に優勝したのはいつか調べてみると、2011年で、もう14年も前になる。

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