義父は福岡の田舎で写真館を営みながら、数多くの写真コンテストで受賞してきた。
本棚には受賞によるたくさんのトロフィーや盾が並んでいる。
二科展で受賞した時は上野の美術館に作品が展示され、上京した義父母と一緒に見に行ったものだ。
地元の写真コンテストでは審査員を務め、NHKのその日の放送終了時に義父の写真が使われたりした。
写真がデジタル化する前のフィルム時代を過ごし、当時は田舎でも写真館で記念写真を撮るという需要があった。
カメラの技術革新により素人でもきれいな写真が撮れるようになった今は、都心部の写真館はまだしも、田舎の写真館は営業的に厳しいに違いない。
フィルム時代が終わるころに写真館をやめ、引退したのはいいタイミングだったのかもしれない。
自分の好きな写真で生計をたて、趣味としても写真を楽しみながら人生を送れた数少ない人だと思う。
当然ながら、上司と部下の関係とか、周囲と協調しながら仕事を進めるといった、サラリーマン的感覚とは無縁の人だった。
唯我独尊的に生きた人だったが、良き人柄であり、写真が趣味だった父とも仲良くなって一緒に撮影に出かけたりもしていたらしく、父が亡くなった時、とても残念そうにしていた。
義父との写真のレベルがあまりにも違うことがショックで、写真を撮る気をなくした時もあった。
ある時、義父は言った。
写真の知識や技術の基本的なところはマスターできていると思うので、あとは自分の好きな写真家の写真集をよく見て、その感性を脳裏に刻みつけること。
僕が敬愛する写真家は前田真三であり、写真集を買い込んで15冊にもなった。
名古屋支店に単身赴任していた時は、前田真三の写真集「奥三河」を見て、そのイメージを抱きながら奥三河に出かけた。
そして、ついに、前田真三が愛用するハッセルブラッドを買った。
しかし、やっぱりというか、当然というか、いつまでたっても前田真三にはなれなかった。
その義父が3年前に他界し、今年、義母が他界したため、空き家となった妻の実家を売却することになった。
それにともなって、本棚に飾られたカメラと防湿庫2台に収納されたたくさんの写真機材を取り出してみた。
残念ながら、何故か防湿庫は電源が切られたまま長期にわたって放置されていたようで、ほとんどの写真機材が湿気などによって傷んだ状態だった。
大判カメラ1台(WISTA45) 、中判カメラ 2台(Mamiya RB67 、Mamiya 645) は、写真館でのスタジオ撮影に使われたと思われる。
保管状態が悪いなかで、まだ使えそうなカメラが1台だけあった。
30年前発売の CONTAX RTS Ⅲ 。
カールツァイスのレンズを使用するために作られたカメラなので、装着されているレンズは、当然、カールツァイスだ。
Vario-Sonnar T* 28-85mm F3.3-4 という標準ズームレンズで、使い勝手が良さそう。
あちこち触っているうちに、このカメラで撮ってみたくなり、持って帰ることにした。
外観も内部もきれいな状態で問題なさそうであり、さっそく単3電池6本(!)を入れて操作したところ・・・
これについてはまた別途。
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防湿庫の電源がきちんと入っていれば、もっと保存状態も良かったのにと残念に思います。
写真の中に「CANON T-90」がありますね。
仕事で使っていたフィルムカメラで、まだ私の防湿庫に入っています。
CONTAX RTS Ⅲ・・カールツァイスのレンズ良いですね。
白望遠を付けて三脚に装着したのを部屋の飾りのように置いていたのがあって、三脚から外すのが面倒だったので写真には写ってません。
義父が愛用したT-90をイワンさんがいまも保有されているとは、何かうれしい気がします。
CONTAX RTS Ⅲはちょっと予想外の時間をとられています。