くに楽

日々これ好日ならいいのに!!

日本民家集落博物館 7月の行事

2015-06-30 16:01:37 | 日本民家集落博物館
7月の行事予定


民家集落セミナー  

◇ 佐渡の町家/越後の街並み
 ~佐渡の町並みは日本の街並みの縮図~

 日 時 7月11日(土) 14時~15時30分

 ところ セミナーハウス

 講 師 大場 修(京都府立大学教授)




季節の行事

◇ 七夕かざり

 7月7日(火)まで 

 ところ 大和十津川の民家の庭
 


◇ かいこの飼育
 
 7 月 上旬~8月中旬
 
 ところ 飛騨白川の民家
     (民家内でかいこの飼育を行います)
 


体験教室

◇ お茶会  
 
 日 時 7月4日・18日(各土曜日) 13時~15時

 ところ 北河内の茶室

 参加料 1席 300円 (茶菓子代)


◇ こま遊び  

 日 時 7月4日(土曜日) 13時30分~15時30分
 
 ところ 日向椎葉の民家前広場  



◎ 毎月15日はアクティブシニアの日 
  65歳以上の方 入館料半額です


◎ お問い合わせ   06-6862-3137

 




日本民家集落ボランティアの日々

2015-06-26 14:06:59 | 日本民家集落博物館
自分のためのボランティアのような
この梅雨の季節
私的には「晴耕雨読」を楽しめる時期ですが
来館者との語らいも楽しいひと時です

フランス(ボーヌ)からの青年とドイツ(フランクフルト)からの親娘さん


言葉は通じないけれど、スマホ対応の単語を駆使して
江戸時代の民家の「囲炉裏」や「台所」「茅葺屋根」の説明

大阪の食べ物がおいしいと喜んでいた
彼女は「お好み焼き」 彼は「さしみ」 パパは「味噌汁」がおいしいとか



今 咲き始めたオーシャンブルー(琉球朝顔)


檜扇あやめ


瑠璃柳
 
 

かんぞう


コスモス


ほたるぶくろ


半夏生


もじずり


刀豆が伸び始めた


散策しながら、この花たちを探してね

日本民家集落博物館ボランティア日記

2015-06-16 15:31:06 | 日本民家集落博物館
館内では今

バナナの花が咲き、かわいい実がついています
  


沖永良部ユリも咲きそろい、いい香りが漂い始めました


そばの花




綿の双葉


ハトが六条小麦の脱穀後のもみ殻をつついています




ニューメキシコからの仲良し親子さん



花壇の片隅にナデシコ  そして ナツハギ
   

梅雨の晴れ間に花々が成長しています








徒然(つれづれ)中国(ちゅうごく) 其之八拾七

2015-06-11 15:10:37 | はらだおさむ氏コーナー

夏がくれば・・・


 ♪夏がくれば・・・と口ずさめば、♪はるかな尾瀬/遠い空、とつづくが、6月の曇り空を眺めていると、思い出すのは、やはり、あの日のあのこと、である。

 あのとき、わたしは広東省の三つの経済特区(深圳・珠海・汕頭)視察の旅から帰国したばかりであった。福建省のアモイをふくめ、対外開放された四つの経済特区ではあったが、なんとか形が整って動きはじめていたのは深圳のみ、その数年後から輸出型加工基地として発展する東莞なども、関係者から青写真を見ながらお話を聞くだけであった。
 6月4日のあの日、事務所には大勢の中国からの留学生が詰めかけ、テレビに映し出される北京の映像を食い入るように見つめていた。あのころはまだパソコンや携帯電話は普及しておらず、事務所のファックスで新聞の切抜きなどをふるさとの家族や友人に送っていた。
 いまでも気になるのだが、戦車に向かってひとりで歩み寄る青年がいた。手に何か持っていたようでもあったが、そのあとの映像はない。かれはだれか、その後、どうなったのか・・・。

 中国からの引揚げ者で、大学の受験外国語に中国語を選択した女性がいた。
わたしより数歳の年長者で、八十年代のなかばから旅行社の嘱託となり、経済視察や友好都市交流の訪中団の通訳・ガイドとして活躍された。団のエライひとにも遠慮せずにずけずけとモノを言い、却ってそれが気にいられて、あちらこちらの訪中団からお声がかかっていたようである。
 ある会合で、同じような引揚者から中国の解放軍の紀律を褒め称えるはなしがあったとき、彼女は立ち上がって異議を申し立てた。スローガンは工場などの「整理、整頓」とおなじで、出来ていないから掲げるもの。毛沢東が解放軍兵士の「三大紀律」としてあげた<民衆のものは針一本、糸一筋もとらない>と訓示したのは、実際はそうではないから、のことでしょう・・・と。
 彼女は愛飲家で、毒舌家でもあったが、乱れることはなかった。
 十六歳の女学生のとき敗戦、「満州」で八路軍の後方衛生部隊に徴用されたとき、面接と称して身包みはがされ、素っ裸にされた苦い思い出がある。
それから数年「国共内戦」で各地を転戦、解放軍とともに過ごしてきた体験の持ち主。中途半端なお世辞や、知ったかぶりの話には、すぐノー(プトイ)とからだが反応したのである。

 もう十余年前になるか、知人の告別式で寝屋川の外れまで出かけたとき、久しぶりに彼女に出会った。わたしも彼女ももう中国との仕事はリタイアしていて、久しぶりの出会いであった。帰路JR東西線で川西池田駅まで一時間ほど延々と四方山話に花が咲き、それでも別れを惜しんで駅前の喫茶店で話し込んだ。
 そのひとつが、この「6・4」のときの青年の話。
 あのとき、ゴルバチョフの北京訪問で世界中のメディアが集結していた。
 胡耀邦の不慮の死去で、中国の学生運動に火がつき、天安門広場に掲げられた“自由の女神”像を目指して中国全土から学生が北京に集まってきていた。小平は事態の沈静化のため、北京に戒厳令を布告、北京軍区の解放軍に出動命令を出したが、北京軍区の将兵は人民には銃は向けられないと出動を拒否、瀋陽軍区から出動した連隊が北京に着くという直前、一定の成果を挙げたと撤退を主張する北京の学生とそれに反対する東北の学生とで話し合いがつかず・・・そして、「事件」がおこった。
 わたしは、川西の喫茶店で、年来の疑問、ひとりで戦車に向かった青年のことを、「お姉さん」に聞いてみた。
 彼女は複数の中国人から、旅先のあちらこちらで聞いた話だがと前置きして、つぎのようなことを話しはじめた。
 当時中国の指導部は、割れていた。
 実権を握っていたのは小平ではあったが、改革開放の実務を任せた胡耀邦は保守派の圧力で失脚、後任の趙紫陽もいま学生の前にひざまずいている。
戒厳令を出したが、北京軍区の出動拒否に手を打てない小平に保守派の長老(たち)は“匕首”を突きつけた。「反革命」をおこさせて、それを合図に「軍」が学生の「鎮圧」に向かう。どうだ、小平、ここが決断のときだ、ならずものなら、北京にごろごろいる、地方からの出稼ぎにカネをやって一暴れさせたらいい・・・と。
「お姉さん」も、このはなしもどこまでがホントかわからないと話していたが、「事件」の翌年、李鵬に「浦東開発宣言」をさせても、動いたのは上海の一部のみ。中央は保守派が結束し、小平は身動きが取れなくなっていた。92年春の「南巡講話」は、北京のこのときのもつれがあったのでは・・・と。

 それから二~三年は「お姉さん」から年賀状をいただいたが、いまは“千の風になって”日中の空を飛びかっておられることであろう。 

  「6・4」も時間とともにその風化は避けられないが、日本の「60年アンポ」が高度成長のきっかけになったのとは次元も規模も異なる。世界史的にみてもこの事件がきっかけとなって、ソ連邦と東欧社会主義圏は崩壊、ベルリンの壁は打ち砕かれ、東西ドイツの統一がひとつのきっかけになってEU(欧州連合)の結成につらなる。
  中国経済の成長の基点にもなったこの「6・4」を、中国も歴史的に見つめなおす日が一日も早く到来することを期待したいものである。

  いま、中国語・日本語・英語とバイリンガルで詩を書く、田原(テイエン・ユエン)という詩人がいる。かれは「亡命者」という詩を発表しているが、91年、公費留学で来日した65年中国河北省生まれの中国人、いわゆる亡命者ではない。思潮社の現代詩文庫205「田原 詩集」の扉には、つぎのような紹介がある。
  2つの国の間に宿命を定めた精鋭中国人詩人の日本語詩集を集成。
  H氏賞受賞『石の記憶』ほか、日本と中国を詩のことばで結ぶ、新しい時代への懸け橋。

  かれの詩「亡命者」の一部を紹介しよう。

  祖国の風は
  あなたの心の中のともしびを吹き消したのか
  それとも異郷の太陽は
  あなたが遠出することを誘惑したのか(中略)

  網膜にうつされた風景は支離滅裂
  祖国は依然として彼の夢に見た古里
  郷愁は埠頭から始まり
  母語は死ぬまで続く(了)

                   (2015年6月4日 記)

木目込み人形展

2015-06-08 22:53:00 | 日本民家集落博物館
現在 堂島の米蔵で展示中の「木目込み人形展」プロ顔負けの力作ぞろい

この素晴らしさを、ぜひご覧ください

ところ  堂島の米蔵 

開催日  6月25日(日)まで




この状態から、木目に布を入れていきます



      


                      


◎ 毎月15日はアクティブシニアの日 
  65歳以上の方 入館料半額です


◎ お問い合わせ   06-6862-3137

 




 

日本民家集落博物館日記

2015-06-06 22:19:02 | 日本民家集落博物館ボランティアの日々
麦秋の季節
六条麦茶の収穫がありました





日向椎葉民家の床飾り


さわやかな風が吹き抜ける緑の小道


民家を彩る花々
         






6月になりました

2015-06-04 15:16:02 | 四季おりおり

朝夕の気持ちいい風 そして昼間の木陰の気持ちいい風は
この季節だけのもの
春から夏に向かうこの季節 私は大好きだ

しかし 時のすぎるのが早すぎる

いや

私の行動と整理がついてこないだけなのか

また 5月の思い出をすこし残しておきたい


茶会


   

日本民家集落博物館の茶会


バラ展
   


弓弦茶会
    

友人が今年もドラセナ(幸せの木)の花を咲かせた
  

西尾邸茶会
  

西尾邸ビリヤード室


かぐや姫のオペラ曲がすばらしい


近江八幡散策


村雲御所ケーブルカー


朝鮮通信使資料展示
   

吹田博物館 西村公朝展(生誕100年 初代当博物館館長








日本民家集落博物館ボランティア日記

2015-06-01 16:00:13 | 行 事
6月の行事

◆ みんかの展覧会

 ☆ 木目込み人形展

 日 時  2日(火)~ 21日(日) 
 ところ  堂島の米蔵
  
  紅山コレクションの展示です


◆ みんかの催し
  
 ☆ むかし話を聞きましょう

 日 時  7日(日)11時~13時30分
 ところ  日向椎葉の民家
 協 力  豊中子ども文庫

  楽しいお話がいっぱいです


 ☆ わらぞうり製作の実演


 日 時  7日(日) 21日(日) 13時~15時
 ところ  南部の曲家


 ☆ たなばた飾りをしましょう

 日 時  28日(日) 13時~15時
 ところ  大和 十津川の民家



◆ お茶会
 日 時  6日(土) 20日(土) 13時~15時
 ところ  北河内の茶室
 参加費  300円 
 
 先着30名様 
  

◆ こま遊び


 日 時  6月の各土曜日(雨天中止)13時30分~15時30分
 ところ  日向椎葉の民家前広場


◆ 石臼体験

 日 時  7日(日)14日(日) 13時30分~15時30分
 ところ  石臼体験コーナー
 材料費  100円


◆ 民家集落セミナー

 ☆ 昔話から都市伝説まで =口承伝承から民俗学を考える=
 
 日 時  13日(土) 14時~15時30分
 ところ  セミナーハウス
 講 師  鳥越 晧之(早稲田大学教授)
 

 ☆ 北欧の野外博物館  =自然と生活=

 日 時  27日(土) 14時~15時30分
 ところ  セミナーハウス
 講 師  杉本 尚次(国立民族学博物館名誉教授)


◎ 毎月15日はアクティブシニアの日 
  65歳以上の方 入館料半額です


◎ お問い合わせ   06-6862-3137

 

徒然(つれづれ)中国(ちゅうごく) 其之八拾六

2015-05-13 20:29:46 | はらだおさむ氏コーナー
夜霧のかなたへ

昨年末から、ふたつめのコーラスにもぐりこんだ。
「歌は世につれ・・・」(昨夏出稿)でご紹介したわたしの“歌はじめ?”は、
昨春の急性肺炎がきっかけであった。11月の宝塚市の文化祭で初舞台?を踏み、仲間の男女数名が他のコーラスにも出演するとかで、こんどは客席に座って出演グループの歌声に聞きほれていた。トリに出てきた仲間たちのグループはロシア民謡三曲、そのフィナーレー「行商人」では、会場からブラボー!の声と拍手で盛り上がり、文化祭の取り決めがなかったらアンコールと花束贈呈になるところであった。
 創部35周年を迎えたこの混声合唱団は、昨年から40歳余のプロ(伊・留学、関西二期会会員・バリトン歌手、合唱団指揮者)を迎えた、男女各十数名の四部構成で、大学グリーや職域コーラスのOBなどと才媛が集まっていた。楽譜も読めず、発声もまともでないわたしだが、このロシア民謡には聞き惚れた。団リーダーにお聞きすると、ロシア民謡だけではないが、そのうちに慣れますよと肩を押されて、はや半年、谷川俊太郎の「信じる」や石川啄木の詩も練習曲に取り入れられていて、いまも口パクでしがみついている。

 表題にあげた<夜霧のかなたへ>は、「ともしび」の出だしで、学生時代“うたごえ喫茶”などで声を張り上げたわたしの“ナツメロ”だが、戦地に向かう恋人を送り出す歌とは、いままで気がつかなかった。
 ♪ 夜霧のかなたへ 別れを告げ/雄々しきますらお 出でてゆく
   窓辺にまたたく ともしびに/つきせぬ乙女の 愛のかげ
 
 これは一番の歌詞だが、五番はつぎのように終わる(のばら社『世界のうた』)。

 ♪ 変らぬ誓いを 胸にひめて/祖国の灯のため 闘わん
   若きますらおの 赤くもゆる/こがねのともしび 永久(とわ)に消えん

 いま『世界のうた』で、この「ともしび」の歌詞を拾い出していて、ことのついでにと目次を分類してみた。全20カ国、131曲、地域を大雑把に米欧(含む東欧圏)と中南米とアジアに分けてみると、米欧は116曲、アジア(含むオーストラリア)9曲、中南米6曲となる。シニアのナツメロの世界だから、わかいひとたちの愛唱歌はもっと変っていることだろう。国別でみると、アメリカ(34曲)、ドイツ(25曲)、イギリス(22曲)についで、なんとロシアが16曲の4位に食い込んでいる。以下イタリア(15曲)、フランス(14曲)と接戦、スペイン、ポーランド各3曲、チェコは2曲、スイス、ベルギー、ハンガリー、ノルエーは各一曲である。

 この歌集を繰りながら、他の国はそのメロディーを聴いてみないとわからない歌も多いが、なんとロシア民謡だけは12~3曲のメロディーがひとりでに口をついてくる。うたごえ喫茶やいろんな集いで耳にしていたからであろうか。
 このコーラスでわたしより年長者はW大グリーOBのおひとりだが、同年のリーダーにお聞きすると、十年ほど前まではソ連帰りの方も何名かおられて好悪の対決もあったとか。ロシアの合唱曲は、特に男声コーラスがベースになるといい歌が多いので・・・と、やんわりにらまれる。

 このところ、むかし一緒にロシア民謡を口ずさんでいた学友の訃報が続く。
 わたしたちは“ほしがりません 勝つまでは!”と飢餓に苦しんだ世代だが、
父や兄たちのように戦場には足を踏み入れてはいない。いわば“銃後の世代”、「戦争を知らない」を歌ってきた世代の代表でもある安部総理の、戦後七十年談話にいま、世界の耳目が集まる。
かれが崇敬する祖父の岸信介氏に、わたしは個人的にうらみがある。
1958年の、いわゆる“長崎国旗事件”で岸内閣がこれを器物破損罪(軽犯罪)で処理して、国交未回復の中国側からの謝罪要求に応えず、日中間の交流が途絶、それからの数年間、わたしの日中経済交流の仕事は開店休業とあいなった。
かれは60年アンポの反対闘争で国会議事堂を取り囲まれ、辞任に追い込まれたが、その前世~戦時下では、満州国の経済官僚のトップのひとりであり、東条内閣では商工相・軍需次官を歴任、戦時経済を指導した。戦後A級戦犯容疑者として逮捕され、48年末まで巣鴨刑務所に抑留されているが、米ソ対立の深まりのなかアメリカの対日政策が右傾、(何か満州国時代の情報提供などの裏取引もあったのだろうか)かれは釈放され、52年4月に公職追放も解除されて政界に進出、56年には総裁・総理に着任している。晩年のインタビューで「大東亜共栄圏はずいぶんと批判があったけど、根本の考え方は間違っていない」と語っている由だが(塩田潮著『「昭和の怪物」-岸信介の真実』~法学館憲法研究所HPより引用)、安部総理の心底にもこうした考えは流れていないか。

過ちを認めるのは、潔良い方がいい。
徳川家康は、政権樹立直後、秀吉の朝鮮征伐の尻拭いをしてその非を詫び、
日朝の国交正常化を実現、朝鮮通信使の受け入れを実現している。これには多額の出費も要したが、先進技術の導入や文化・芸術の交流も促進された。何よりも大きかったのは、秀吉政権時に植え付けられた日本人の対朝認識の払拭であったと見られている。当初は比較的定期的に実施されてきたが、正徳元年(1711)のとき、将軍家宣のご意見番に着任した新井白石は財政難を理由に以後の経費減額と期間の大幅な延長を申し渡した。幕府の対朝観に変化が生じてきたのはこのころからで、幕末の征韓論に行き着くとみられている。
 そのさきは明治以後の朝鮮併合・植民地化につながる。
 口先のお詫びだけでは、通じないのである。
 数字や事実のツメは、学者同士の研究と交流に任せておけばいい。
 ドイツの政治家が、アウシュビッツで誠実に詫びたからこそ、いまのドイツの先進国におけるリーダーシップが是認されているのである。
 そのドイツだが、東独出身のメルケル現首相は就任時の07年に消費税率を16%から19%に上げるとき軽減税率を食品に適用して7%に下げ、高額所得税率を3%上げて45%として、国の借金―国債をゼロにしている。日本の国債残高はいまひとりあたり800万円と倍増し、円安で企業業績はこの世の春を謳歌して、株価の上昇でミリオネールはふえているだろうが、それはどれだけ国益に貢献しているのか。ババをつかむのは、いつも庶民。戦時国債があの敗戦のとき、一片の紙切れに化したことを覚えている人も少なくなったであろうが、昨今中国がドル預金残高を減らし日本がトップになったことをどう見るか。中国人民元の国際流通化も進んできている。アメリカ経済があのときのように傾いたとき、日本の国債残高は耐え切れないであろう。ジャパン・デフォルト→強い日本に作り変えるのは、その財政管理である、軍事力ではない。アメリカの軍需産業―死の商人の思うままに軍事力強化~兵器の増強を図り、自衛隊の海外派遣を認めて、その傭兵になるのはどういうことだろうか。

 ロシア民謡からのはなしが、硬い・きな臭いものになってしまったが、青春のあのとき声を張り上げて歌ったあのうた、そう「黒い瞳の」でも歌ってお別れにしよう・・・。

 ♪ 黒い瞳の若者が わたしの心を とりこにした
   もろ手をさしのべ若者を 私はやさしく 胸にいだく ♪ (了)
 
                      (2015年5月14日 記)

世界遺産 高野山

2015-05-09 15:03:26 | 寺社・仏閣
今年は高野山は開創1200年
同窓の有志と参詣した
参加者は関西地区在住の8名
宿泊組と日帰り組で

天空観光列車にのり、ケーブルで山上へ


今はシャクナゲが満開


奥の院参拝


市川團十郎墓所


花菱あちゃこ墓所




金堂に安置されている御本尊

特別公開の三大秘宝、
飛行三鈷杵(ひぎょうさんこしょ)(弘法大師が唐から投げ、高野山に飛来したとの伝承)
聾瞽指帰(ろうこしいき)(弘法大師直筆)
諸尊仏龕(しょそんぶつがん)(弘法大師が中国から受け継いできた観音開きの仏様たち)


霊宝館では
快慶作の孔雀明王像・運慶作八大童子像

を心静かに見せていただいた

金堂の庭のたたずまい









霊宝館を出るともう外は人もまばらバスももうない


館前の宿坊のお坊様の親切でタクシーを呼んでもらい

急ぐ旅でもなく、のんびりと帰路に就いたまで


大法会・特別公開は5月21日まで