昨日 日本民家集落博物館主催の『故(ふる)きを温(たづ)ねて』で箕面市域の西国街道を歩いてきた。
なんとなく知ってはいたが目で見るのは初めての ところばかりだった
旧瀬川・半町宿では 歴史道も作られ整備されていが、もう旧い家屋は 残っていず、西国大名が参勤交代で泊まった本陣ももうない。
静かな住宅街には面影もないが、まっすくにのびた街道の跡は、瀬川から半町にかけて垣間見られ横丁にはいった一角には「牛回しの塔」がのこっている。
江戸時代(1791年)のもので、春の田起こし前に牛の爪を切り農耕の準備をする。そのおり牛の病気安全と豊作を祈って、この塔の周りを7回まわるという風習があったそうな。
牧落では 八幡神社、高札場跡・道標があり
「みのおみち」 「大阪・服部天神 刀根山御坊」 と刻まれている
雨が急に激しくなりアジサイや梅の熟した村道を歩いていくと、青田が開けその向こうにマンション群がみえる。萱野郷 あの赤穂浪士の萱野三平邸跡が見えてきた。
三平は父と主君の忠と義の板ばさみで、27歳の若さで自害して果てたのは、周知の通り。
写真は彼が自害した8畳に床が半間の部屋で自宅長屋門の一室
青田の中の三平の墓を参り、バスと電車を乗り継いで日本民家集落博物館へ。 ここでは今開催されている 「日本の暮らし 春の歳時記」の説明を学芸員さんから受けて奈良県十津川の民家で昼食。
各自思い思いに民家見学をしたり、解説をうけたりしていた
故きを温ねて の言葉通り いい1日が過ごせた
なんとなく知ってはいたが目で見るのは初めての ところばかりだった
旧瀬川・半町宿では 歴史道も作られ整備されていが、もう旧い家屋は 残っていず、西国大名が参勤交代で泊まった本陣ももうない。
静かな住宅街には面影もないが、まっすくにのびた街道の跡は、瀬川から半町にかけて垣間見られ横丁にはいった一角には「牛回しの塔」がのこっている。
江戸時代(1791年)のもので、春の田起こし前に牛の爪を切り農耕の準備をする。そのおり牛の病気安全と豊作を祈って、この塔の周りを7回まわるという風習があったそうな。
牧落では 八幡神社、高札場跡・道標があり
「みのおみち」 「大阪・服部天神 刀根山御坊」 と刻まれている
雨が急に激しくなりアジサイや梅の熟した村道を歩いていくと、青田が開けその向こうにマンション群がみえる。萱野郷 あの赤穂浪士の萱野三平邸跡が見えてきた。
三平は父と主君の忠と義の板ばさみで、27歳の若さで自害して果てたのは、周知の通り。
写真は彼が自害した8畳に床が半間の部屋で自宅長屋門の一室
青田の中の三平の墓を参り、バスと電車を乗り継いで日本民家集落博物館へ。 ここでは今開催されている 「日本の暮らし 春の歳時記」の説明を学芸員さんから受けて奈良県十津川の民家で昼食。
各自思い思いに民家見学をしたり、解説をうけたりしていた
故きを温ねて の言葉通り いい1日が過ごせた