以前の記事と似ているが、復習しながら書いている。
岡田元繁、中原氏一族。
寛永に入って、原氏を調べに宗徳寺に赴いている。
宗徳寺は原四郎胤高の創立という。web情報を見て見よう。
宗徳寺 <そうとくじ> (臼井田)
長谷山宗徳寺は、般若船観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院です。
臼井氏の後に臼井城主となった原氏の菩提寺で、応永10年(1403)に小弓城主 原胤高により下総国小弓郷柏崎に創建されました。
元亀元年(1570)に原胤栄<はら・たねよし>が臼井城主となって以後のある時期、臼井城の周囲に配置されていた砦の一つである手繰砦の麓、長谷津(南臼井台)に移転され、この地にあった長谷山龍雲寺を合併しました。
宗徳寺の「権現水」という清水は、昔この地に徳川家康が狩に訪れた際この水を賞味し、寺領10石を賜ったことに由来する名であると伝えられます。
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岡田元繁が中原一族であった理由(わけ)
寛政6年に「宗徳寺」(臼井壹町寺前)訪れている人物、岡田元繁がどの岡田氏かという事を、
江戸時代の岡田氏から其の祖を探ってみた。
奈良県宇陀郡史には岡田十右衛門がいたことがわかっているので、そこから遡っていきたい。
まず、十右衛門という名のついた岡田氏はどこにいるのか。
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memo 忘れそうなので、書き留めておく。
岡田善富の息、長男善慶 二男善里(よしさと)=恕(はかる)=寒泉という号もある。
岡田清助(寒泉)でもある。
ところが「寶泉寺 岡田家墓所・岡田君善富之墓 天明6 孤子恕撰 曽孫善徳立 淨林院殿空山夕遥居」
※岡田寒泉の墓は大塚先儒墓所にあり
http://hizou.30maps.com/map/57857
この「孤子」は「孤児」の事であろうと思うのだが、系図では実の父であったようなので、孤児のように哀しいという意味なのかもしれない。