丹波国 加佐郡河守荘地頭は、1239年(沙弥蓮忍)
肥前国 高来郡深江の地頭となったのが1247年 (深江入道蓮忍)
因幡国 法美郡冨城郷地頭は1250年以前 (蓮忍入道)
藤肥前前司経久は1285年の文書にその名が上がるが、1285年以前に菅荘にいた人物とみても良いだろうか? 三人の息子が、跡を継いだという事が書かれている。
大田文に書かれてはいるが、それ以前の文書を参考に作っていることはないだろうか?
高辻姫宮の高辻は、高辻に邸を構えていた家の御姫様という事のようであるので、もしかすると‥‥(後述)
高辻姫宮 ⇒ 皇室領(出石郷・神戸郷が蓮華王院領) ⇒ 近衛家領(南北朝時代) と変遷しているようである。
案主は、藤肥前々司の子三人の記載が残っている。
左衛門入道蓮阿
四郎左衛門入道妙心
五郎左衛門入道定智
高辻姫宮の高辻姫の家は、前回の『①高辻家という菅原氏の流れに乗る家がある。』が、正しかったかもしれない。
平安京オーバーレイマップによると
・・・と高辻通よりも上になるが、菅原邸があった。
白上殿・紅梅殿の間である。
高辻邸のあたりは【天満宮降誕の地】のあたりとなると思う。
菅原道真の時代から住んでいたのが、高辻であるようだ。
是綱ー宣忠ー長守ー為長ー長成・高成ー清長
ー長貞・公良(母は中原師茂の娘)
(つづく)