新しい一年、2025年 令和七年が始まりました。
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今年で此のブログを始めて10年目に突入することになる。
気を引き締め、違った角度から「九里氏」を見ようと思っている。
秀郷流の中の足利氏について…どのくらい資料が揃っているのかもわからないのだが、見てみようと思っている。
佐貫広綱という人物がいて、相撲人であったという。
此処で、一つ思い出したのが『長田広雅』である。
ここが、ちょっと引っ掛かっているので、この辺りから始めたいと思う。
因みに、此の佐貫氏は藤姓足利氏の一族 である。
上記の【2.鎌倉幕府と佐貫氏】の記事には、非常に大事な事が載っていた。
『藤姓足利本家があっけなく滅亡した背景には、本家の一門への統制力が低下し、佐貫広綱のように頼朝陣営に走る者が出たことも大きかったと考えられる。その後広綱は、源平の争乱では源義経・範頼らに従い上洛し、寿永三年(1184)二月の一ノ谷合戦に有力武将として見える。
一方で同年三月には、「上野国住人讃岐四郎大夫」が近江国蒲生保(滋賀県東近江市)を私領と称して住人を責め、御供田を押領しているので百姓らが耕作できないとして、感神院が訴えている。』
一方で同年三月には、「上野国住人讃岐四郎大夫」が近江国蒲生保(滋賀県東近江市)を私領と称して住人を責め、御供田を押領しているので百姓らが耕作できないとして、感神院が訴えている。』
蒲生保を私領に…とは、驚いてしまった。
その後此の蒲生保を足掛かりにし、何氏かに地頭職を与え、代わりに住んでいた者がいたのではないだろうか?
など、など、新しい角度から九里氏の周辺を探ってみようと思う。
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では、今年も一年どうぞよろしくお願いいたします。
皆様にとりまして良き一年となりますよう心より祈念いたしております。