源光行の五男か?とも言われている富木常忍だが、
其の源光行、富木氏と関係がありそうな光行と限っても、その時代に少なくとも3人はいたのである。
源氏物語の研究者であった源光行(おじは飯富氏)東国にやって来ていた。
南部光行は甲斐源氏であり、やはり当時鎌倉幕府の御家人となっていたと思う。
しかも、室町から戦国時代の事例ではあるが蒲生氏と婚姻関係がある。また、野田氏を名乗っていた者もいたのである。(東桜谷)
次に土岐光行。
富木常忍は、蓮忍と共に「因幡国の冨城郷」に居住し、在庁官人であったと言われている。
接点がありそうで、なかなかはっきりとしないのであるが、今回良峯一族との関係が見えてきたのである。
これは、常忍が生まれる14年前の事である。
こちらも鎌倉幕府の御家人でもあった事がわかる。
つまり、源光行3人とも頼朝とつながりを持ち、同時代を生きていたことになる。
常忍は、千葉氏の執事的立場として仕えていることから、土岐光行の可能性も大きいかもしれない。(下記に千葉氏とのつながりがみえる。)
見極めが難しい。…が、千葉氏との関係を見ると土岐光行が富木常忍に近いような気もしている。
良峯一族の原高春や高直が持っていた領地の主権が土岐氏に移っていったことも、婚姻関係等何等か関係があったのかもしれない。