朝親,中原
正応2年1月13日
勘仲記
と東京大学史郎編纂所DBにあり、平安後期から鎌倉前期に活躍した「朝親」とは違うようなのだ。
しかし、「親厳」(1151-1236 平安後期-鎌倉時代の僧。)の兄弟にいる朝親である。
二人いたのだ!
やはり、この親厳の弟の朝親は父の親光と共に「村上源氏」に養子に入ったのではないだろうか。
源親広がそうであったように。(大江・中原氏の親広である。村上源氏の養子となっている。)
そして、もっと複雑なことに「尊卑分脈」には中原朝親 初名親広 となっているのだ。
この辺りの中原・大江・源は名前が重なっていたり、順が違っていたり、である。
さて、もう一人の中原朝親は、初名が親朝だが、実は「塩谷親朝」である。
この塩谷の系図を遡ると前回の記事で述べているように塩谷頼純である。
この頼純の父は「源義親」であった。
つまり源義家の孫ともなるわけである。
いろいろな朝親がいるが、親厳の弟も、そして塩谷の方も、九里氏と関係がありそうで判断がつかない。