九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

天武天皇の周辺 (4) 近代王(コノシロ)=聖徳太子の次男 長谷王のこと

2023-08-26 | 古代からのつながり


















近代王…とは、近いうちに王になるであろう…との想いを名に込めたのだろうと思う。

近代王は聖徳太子の次男長谷王のこと、と『太子伝補闕記』(上宮聖徳太子伝補闕記)にあるそうなので、平安時代にはその認識であったのだと思う。



崇峻天皇と長谷部大王泊瀬部王)(泊瀬仲王) 崇峻天皇の皇子を泊瀬部大王と申上げたとも。

聖徳太子の息と言われている長谷王(近代王)(己乃斯重王)または、註(割)に(泊瀬仲王)(長谷部大王)ともあるようだ。

本の中でも混乱していて、よくわからなかったが、

近代は己乃斯と置き換えられるとしている。文書によっては「重」が「里」となっている。

己乃斯里の音は「ロ」なのだそうで、コノシロとなる。(周代古音考より)


コトバンクより【上宮聖徳太子伝補闕記】
  聖徳太子の行実を,調使・膳臣の家記にもとづいて記したという伝記。平安時代初期の成立。1巻。神仙譚的な奇異な内容の説話が多く盛り込まれ,神秘的な太子観の形成に大きな影響を与えた。山背大兄王滅亡の事件や《三経義疏》の撰述などについて,他に見えない独自の所伝がある。《群書類従》《大日本仏教全書》《聖徳太子全集》所収。【飯田 瑞穂】         
                                               






読んでいる本も、私も混乱している。

本の年表で崇峻天皇が長生きしたとし山背大兄王と共に行動していて、入鹿に殺された…というのも、実は聖徳太子の息子で、山背大兄王と兄弟であった方の長谷王だったのではないだろうか。

この聖徳太子の息を『長谷王』=泊瀬仲王=近代王=己乃斯重王と仮定して、先に進めていこうと思う。

仮の想像で
長谷王=泊瀬仲王は、聖徳太子の息に養子として入った崇峻天皇の皇子だったとすると、ココで混乱が解消するのではないだろうか?とも思う。

叔父の息を、甥が養子に…という形となる。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天武天皇の周辺 (3)崇峻天... | トップ | 天武天皇の周辺 (5)崇峻天... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

古代からのつながり」カテゴリの最新記事