調べものをしていて、中原清定の息に中原清業がいることがわかった。
史大夫 清定ー清業・清房
平清盛の養子となった清貞は、 清貞ー清兼(承明門院蔵人)
この史大夫清定は、初名は「清重」で、坂上重盛の息であったが、勘当され、乳夫である定清の養子となっている。
一方の平清盛の養子となった「清貞」の息にwebの公卿類別譜に清兼(承明門院蔵人)を見つけた。
だが、年代的に合わないので、中河辺清兼ではない。
https://geocity1.com/okugesan_com/nakahara.htm
中河辺清兼、中原範兼が父なのだろうか?
「中河辺」という地名を美濃国にも見つけたが、そこの人物???
中河辺清兼は久経の祖父なので、だいたい1100年生まれと思う。
一方の清貞の息の清兼は、???
清貞は中原師元の実息であったので、師元1108年生まれ 長男師尚1131年生まれという事は、清貞は1132年以降の生まれか?
そうなると、息の清兼は1150年代となる。
因みに中原清業は1158年から1185年(播磨国目代)が活躍期であったようだ。
だいたい久経の活躍期とかぶっている。