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義経周辺の藤白鈴木重定

2016-07-27 | 源義経周辺 バラバラ情報
源とは書かれてはいないが、同時代の重定で気になっていた【藤白鈴木氏】の重定。

源行家の母親が、藤白鈴木氏の鈴木重忠か・・・といわれている~とwikipediaにあったため、以前調べてみた時に【鈴木重定】なる人物を発見。

しかも、重定の甥である鈴木重家と亀井重清が、源義経に仕える。

その義経のはからいで、重家と(実は佐々木秀義の六男であった)=重清と義理兄弟となったというではないか。

…そう、佐々木氏がここで登場する。重家は1156年生まれ、そして重清は1161年あたりの生まれであろうと仮定する。

1113~1136年あたりが重家の父親重倫の生まれた時期と考えると、1156年に合戦デビューを果たした可能性の高い源重定も藤白鈴木重定も、ほぼ同じ時代を生きている。

保元の乱の時に源重定が16歳で、1140年生まれであったなら、藤白鈴木重倫の弟であるといわれても、年齢的には違和感がない。

鈴木重定のwikipediaはないが、父親の重邦の息子の欄に「鈴木重定 - 系図に「衣川没落終為宇都宮家客」。下野鈴木氏の祖。」とある。



重定のすぐ上の兄重善の記事があるが、非常に興味深い。

wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%87%8D%E5%96%84

この記事によると、甥たちを追いかけたが、途中で義経と共に果てたのを知り、三河に土着した。それが三河鈴木氏~となっている。

その居ついた先が、三河国加茂郡矢並郷だそうである。そして、足助という名前も見える。(時代は戦国時代になってしまうが…)

この三河鈴木氏はのちに、彦根城の普請にかかわったりと井伊直正とつながるのである。


足助氏といえば、源重遠~浦野重直~六男 足助重長(加茂六郎)となり、これはもう、源と藤白鈴木の関係はあるのでは!と予感から確信になってくる。

ぐるりと、外側から回ってきた感じはするが、もう一度【源行家】を見ると、やはり、行家の母親が【鈴木重忠の女?】

そして、行家の娘を山田重忠(浦野重直の息子)に嫁がせている。名前が同じなのは、どちらかが違っているということなのだろうか? それとも別人なのであろうか?


…とても怪しい、と思う。


そして、藤白鈴木氏の本拠は、新宮である。

新宮十郎、こと源行家である。








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2 コメント

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何時も負けた方に味方し (自閑)
2016-07-27 18:49:21
私は、余り詳しくないが、blog仲間で、義経にとても詳しい方がおられます。
何か聞きたい事があれば、繋ぎますよ。
義経に味方し、後鳥羽院に味方し、石山本願寺に味方し、鈴木家本家は、よく現代まで残りましたよね。
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いつも、読んでいただきましてありがとうございます。 (kunorikunori)
2016-07-27 21:09:35
お心遣い、ありがとうございます。
ド素人なもので、何を質問したらよいものやら、悩みますが、その方のアドレスを教えていただけましたら、読んでみたいです!
負けそうな方を応援したくなる!そんな気持ちもどこかにあったのでしょうか。
http://www.suzukike46daime.jp/index.html
↑面白かったです。



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