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ぐんと遡り、中原の中の『清原真人正基』 (1)

2023-05-15 | 中原氏バラバラ情報

友景の先祖は、天武天皇というのが近江国御家人井口中原系図である。

その天武天皇から

舎人親王ー船親王―栄井王ー豊前王ー弘宗王ー長谷・弟の時正ー清原真人正基と続く。

 

この【舎人親王】は肖像画の模写が残っている。

職符 東市司

 琉璃玉四口〈径二寸、若無者壷一十許口、〉

  右、平章其価、便付遣使坊令御母石勝、進送舎人親王葬装束所、符到奉行、

              大進大津連船人

              大属四比元孫

 

                   十一月廿日

 

…とあるので、舎人親王が歿した際には、母の新田部皇女はすでにこの世にはいなかったはずなので、この遣使坊令御母石勝は、装束などを用意した人物のようである。

舎人親王の母方の祖母は「阿倍橘娘」(たちばなのいらつめ)と思う。

 

その舎人親王の息【船親王】は【船王】と同一人物と思う。

天平宝字3年8月6日、条:、綱文:大宰帥船親王を香椎廟に派遣して、新羅を討つことを告げる。 

・・とあるが、翌年に大宰帥が藤原真楯に変わり、新羅に行くことはなかった。

船親王は藤原仲麻呂の乱で、共謀の手紙が出てきて、隠岐に流されることとなる。その際に息たちの「親王」が臣籍降下となり真人となる。が、光仁天皇の時に皇親に復籍となっている。

 

以下の論文に詳しい。

皇親と賜姓皇親 吉住恭子 著 

http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/703/1/0030_058_016.pdf

 

中原月雄

阿衡事件

 

此の『清原真人正基』の周辺を探ってみたい。

 

 

 


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