中原正基から姓を賜わり清原となった真人正基は、どのような働きをしていたのだろうか?
貞観十六年(874年)中原正基 清原姓を賜る
延喜十年(910年)7月 越中守であった。(次の人物が越中守となったのは920年となる。)
因みに中原成俊〈天治元年(1124年)10月〉二年弱
清原頼業も、清原頼業〈安元2年(1176年)1月〉より3年間 、越中守であった。
上記の成俊という名は、近江国御家人井口中原の系図にも記載はあるが同一人物なのだろうか?
越中守の中原成俊が井口中原系図の人物ならば、越中守と記載があっても良さそうなのだが。
この人は、中原経行・成行の父に当たり『伊香三郎』として伊香郡に住んでいたひとであり、その息である中原経行は越前権介、伊香郡司判官代となっている。
この中原成俊、次にの記事でもう少し掘り下げてみようと思う。