近江国御家人井口中原氏の系図の始りの方に、高向利男の娘が登場する。
弘宗王の妻である。
弘宗王の父は豊前王、母は佐伯君足の娘である。その息に系図には書かれていなかったが清原真人当仁という人物がいる。
もしかすると同時代に居た「紀当仁」かも知れないが、別人かも知れない。
山梨郡石未郷 清原真人当仁宅で「禾三茎五十穂、また一不二茎四十六穂の嘉禾が生えたと甲斐国から届けがあった。」とある。
そして、葛原親王のページにhttps://chibasi.net/souke2.htm
天長2(825)年3月24日、親王は「臣之男女、一皆賜姓平朝臣」と、子の高棟王ら子王一皆に「平朝臣」の姓を賜るよう上表するが許されず、7月6日、再び上表してようやく許可された(『日本紀略』天長2(825)年3月24日条、7月6日条)。親王は平朝臣姓を賜るよう願った初の人物であるが、王の身分ではその後の生活が制限されることを見越しての上表か、皇室の負担を減らす意味での臣籍降下かは不明であるが、おそらく後者であろう。
天長5(828)年、学問に優れていた清原真人有雄(天武天皇五代の孫)を、皇族の文書管理を司る正親司に推挙し、有雄は正親佑に任じられた。
…とある。豊前王も天武天皇の三代目なので、何かしらつながりがあると思う。
===*===
その後、弘宗王の妻で長谷の母には「高向利男」とある。
小野氏も高向氏とはつながりがある。
高向利春である。養父は小野氏となっている。
小野氏から養子に入ったと書かれている場合もあり、詳しくは不明である。
小野氏と高向氏を調べていると、下記のページが出てきて、
【 ~ホツマツタエ16文~
ほつまくに をさまるのちに
ふつぬしの かとりのみちお
ことことく こやねにさつけ
かくれます かしまのみちの
おくもみな こやねにさづく
かすがとの たまかえしなす
おくのりも こやねにさつく
このゆえに よものまつりも
おのづから ひとりにつけり
かしまみち…。 】
という、詞が載っていた。
https://www.sekihotu.com/entry/2019/04/27/210435
ホツマは穂積のことだろうか?
そこから、ホツマツタヱの世界に入り込んでしまい、すごい充実のページを見つけてしまった。
https://gejirin.com/index.html
特に、このページ!!
https://gejirin.com/mitinoku.html
じっくりと、読まなくては申し訳ないほどのページである。
次に、その中の詞にヒントを得た結果「こやね」は天児屋命だと思った次第。
【天児屋命】(読み)アマノコヤネノミコト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%85%90%E5%B1%8B%E5%91%BD
この方も、登場していた。↓
【天足彦国命】<人名>
オシキネの斎名。春日県を和し治める者。
「あめ(和む)」+「たらし(足らす)」+「ひこくに(平地・平国)」
「ひこくに」は「調和して治まる地」の意の地名で、「わにくに(和爾地)」「かすか(春日)」「そふ(添)」の言い換え。
おしきね オシキネ osikine
アメタラシヒコクニの斎名。
「おし(上す・熟す)」+「きね(熟・木根)」
多賀氏は確か、タガネツキであったはず。
杵をつく、杵を上げる、杵をおす…
===*===
天児屋命(読み)アマノコヤネノミコト
デジタル大辞泉の解説
日本神話で、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋に隠れたとき、祝詞(のりと)を奏した神。天孫降臨に従った五伴緒神(いつとものおのかみ)の一。中臣(なかとみ)氏・藤原氏の祖神。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
百科事典マイペディアの解説
日本神話の神。中臣(なかとみ)・藤原氏の遠祖。天照大神が天の岩屋戸に隠れたとき,祝詞(のりと)を奏してその出現を請うた。これより中臣氏は,斎部(いんべ)氏とともに朝廷の祭祀(さいし)職を世襲した。枚岡(ひらおか)神社,春日(かすが)大社の主祭神。
日本神話にみえる神の名。記紀神話に登場する。中臣(なかとみ)氏の祖神。天(あま)の岩屋戸の神話では,うるわしき称辞を読み上げて天照大神(あまてらすおおかみ)を引き出すことに成功し,天孫降臨神話では天孫に随行した。名義については〈言綾根(ことあやね)〉の意とする一説がある。美しい言葉すなわち祝詞の奏上が役目だからである。そこには宮廷祭祀を主掌した中臣氏の職掌の反映がある。後には藤原氏の祖神として,枚岡(ひらおか),春日(かすが),大原野の諸神社に祭られた。
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/north/s_kasima.html
なんかバラバラだが、私の中では繋がりそうなのである。
コヤネは結構マイナーな神さんではありますが東京でも健在です。あまり気にする方はいないんですが、そこに集約されてくるように思います。
枚岡のお水の神も感じたんですよね。炎天下で二月堂から若草山と猿沢行った後に行って、お水で癒されたからかもしれませんが。地形からしてもいいお水出そうな場所ですね。