中河辺という地名は近江に存在する。(他の地域でもあったかもしれないが、まず近江国から。)
近江国であるならば宇都宮氏に関係する人物かもしれない。
その辺りがどうなのか調べてみたいと思う。
近江国の中河辺は【比叡荘中河辺者…】という貞永元年(1232年)の記載が残っている。
その後、井氏と関係があった事の記載が残っているので、九里氏とは近い感じもする。しかも安曇川側の北船木庄にも関りがある。
もしも、この比叡荘の中河辺という地名であれば、中原が関わっていた可能性もある。そしてさらに賀茂氏の担当の供御人とも関りがあったのではないだろうか?
しかし、比叡荘中 河辺者 とも読めるため、確証には至っていない。
また、
下総国葛飾郡下河辺庄に「中河辺」という地名もあったのではないか?と思ったが、
wikipedia等には、
「上流域(茨城県古河市周辺)を「上方(野方)」、下流域(埼玉県久喜市から千葉県野田市を経て埼玉県三郷市に及ぶ地域)を「下方(河辺)」、大落古利根川と古隅田川と元荒川に挟まれた地域を「新方」に三分されていた。」
とあり、真ん中部分は「新方」と読んでいたそうである。