宇都宮宗房ー源季長=小野季長かと思うが。まだ調べている最中である。
宗房は中原氏出身で、外記、造酒正といった職を経た後、藤原璋子に仕えた。
宗房には坂戸源氏源季範の養子となった源季長、源季範の子である源季国に嫁いだ女子、下野宇都宮氏の宇都宮朝綱とほぼ同世代で宇都宮信房の父である名前不詳の男子といった三人の子がいた。(wikipediaより)
其の季長の関係者(土地の売り手)が中原清祐か清兼の娘であろうと思う。
1150年に六角室町の北側の西面を秦武元に売ったのち、まだ西角が残っていたのか、1172年にその西角を中原氏女が小野季長に売却している。
もしも源季長と小野季長が同一人物ならば宇都宮氏と繋がりがある中原氏…という事になるのではないだろうか。
(1160年)
(1166年)
宇都宮氏と小野氏も伝承によると関係が深そうである。
宇都宮朝綱の領分に…猿丸大夫の末孫あり…とある。
詳しくは、難しくてよくわからないが‥‥小野と称させることで、季長をその領分内に居させていた…なんということはないだろうか?(私のいい加減な説)
この清祐・清兼はともに【清】がつき、その始まりは清原系の可能性もある。
あくまでも予想だが、
清兼ー久兼
久兼ー久経
久経ー経久
経久ー経重
経重ー秀重
秀重ー秀宅
と続くのではないだろうか。(経久以下は系図あり)
宇都宮宗房、孫の信房とどこかに接点があるとすると、この周辺も可能性があろうと思う。
東山道の中に中河辺という地名があった事も、此処に書き留めて置く。