実は、中原成俊という名前は鎌倉時代貞永元年~寛元三年(1232-1245年)に登場する。つまり、二人以上はいるので、注意しながら進めようと思う。
前回の記事で、中原成俊は1097年初見としたが、『官吏補任』の本なかには寛治5・6年(1091・1092年)があった。
従6位上で、出納を任されている。
史とはどのようなことをしていたのか、wikipediaに載っていたので、参考にしたいと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2_%28%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%88%B6%29
こちらのページも優しい語り口で、わかりやすい!
http://www.sol.dti.ne.jp/hiromi/kansei/o_kan_dajo_bensnagon.html
ちょっとわからないのが、下記。年代と役職が様々で…
承徳元年(1097年)従五位下 豊後権介
康和五年(1099年)大蔵抄録等をへて、保安元年(1120年)には豊後守となっている。
大治四年(1129年)越中権守
直ぐ上の文書によると天治元年(1124年)には越中権守となっている。
上記の参入する‥‥とは、高貴のところに参る…の意味だそうだ。
中原成俊は文官であることが上記から分かると思う。