中原成俊の初見は1097年のようである。
次に康和五年(1103年)
大蔵少録(明法学)
1107年周辺 成俊の息である中原成行が愛智郡の大領となる。
その時にすでに孫季仲が新宮経頼の婿となっているという事は、季仲が1087年生まれ、成行が1067年あたり、成俊は1047年あたりに生まれたのかもしれない。
それとも季仲の部分は、年代に関係なく付記されたものか?…そういう可能性もあるかもしれない。
そうなると、1129年には成俊82歳。十歳くらいの誤差があるかもしれない。
が、アバウトに計算してみると、鎌倉時代の中原経久がだいたい合うのではないかと思う。
次に中原成行と孫の中原季仲の情報を探ろうと思う。