同時代に「紀成俊」が実在していた。近江掾
近江守・近江介・近江掾・・・の「掾」
大掾は一人のようだが、
少掾は同時に10人もの名前が挙っている。
この人は、ひょっとすると‥‥紀貫之・紀時文の子孫かも知れない。
貫之は近江に住んでいたようで、墓も近江である。
時文は源順集に近江掾紀時文と記載がある。
佐々木経方(1055年か1053年生)の妻も下野守紀盛宗女とある。佐々木行定1080年生(佐々木宮神主)の母親である。(宝賀先生の系図より)
以前から気になっていた佐々木の成俊。
下記には二名の名が載っているので、中原氏とは別人となると思う。が、佐々木宮の神職となった成俊である可能性は十分にあるのではないだろうか?