九条兼実の家司 中原有安 は 『兼実の琵琶の師』でもあったそうである。
https://ch.kanagawa-museum.jp/uploads/kpmrr/kpmrr046_2019_watanabe.pdf
面白い小論文を見つけた!
中世の貴族と日記 ー玉葉を中心に 佐藤英子 著
その中の一文 ↓
【『玉葉』に九条兼実家の「家司」として明確に記される人数は約七十名近くにのぼる。】
兼実の家だけに仕えている人は少なく、ほとんどは掛け持ちのような立場であったようだ。
さて、中原久経は九条家の家司と聞き及んでいたが、はたしてそうなのだろうか?
近藤国平と中原久経が頼朝の命で行動していた時期は、どうなのだろう。
1185年の中原政経は京にいた事がわかっている(高山文書)のだが、久経は?
嬉しい情報としては、清原頼業が来た際には大外記頼業と正確に記載がある。
七十人、メンバーが知りたいところです!
玉葉、翻訳お待ちしておりますよ~~♪
久経一か所だけ見つけましたが(笑)他にも記載がありましたら、教えてください。
有安、楽人としても、飛騨守・筑前守も務め、家司もこなし、琵琶の先生にもなり‥‥働き過ぎではないでしょうか。
この先、一回ぐらいは【有安の登場】を期待しております!できれば、兼実の琵琶の先生役で!!
約七十名近くの家司がいて、定家もその一人です。平家物語の信濃の前司行長も有名ですね。
源平の激動期、情報収集能力は、当時ピカ一だったのでは?
今日聞いた裏話にはほととぎす
(ほととぎすの漢字は、時鳥)