上記の姓氏家系大辞典の37の項によると佐野有綱の六男廣高の曾孫あたりに1194年があったということだろうか。
1194年い熊野に移った佐野氏という事は、成俊は1200年生まれと思っていたが、もっともっと前の年代に生まれたはずである。
そこで佐野有綱を調べると、1186年に老体で‥‥とある。
という事は、1100年代初めに生まれているのではないだろうか?
更にwikipediaの佐野氏の系図には、以下のように有綱と成俊が兄弟として載っている。
成俊の娘が基綱の妻となり、基綱は婿養子となっているようである。
下記の系図は田原族譜からのものだが、こちらでは成俊の息に有綱となっている。しかも享年十九…
尊長の娘の息忠廣とは、年が全く違うようで、何が本当なのだろう。
田原族譜を見ると成俊の註に「実園田成実子」とある。
園田成実とは…
足利太郎成綱・家綱の弟であった。園田小倉氏祖。
何処にも近江国の佐々木氏との接点は書かれていないので、たぶん別人と思われる。
が、此の【佐野】というキーワードはかなり秀郷流の中でも九里氏に近いかもしれない。今までは、小山氏と思って調べていたが、九里龍作は新宮生まれである。
しかし、龍作は実は高須氏である。
其の祖は、大江氏だ。
だが、何度か高須氏の中に九里の娘が嫁いでいる。
九里には、本宮の前房の僧が居たり、熊野には深いご縁があった。
御師になっていた者もいた。
この本に高須氏と九里氏が登場していた。
高須富雄 九里幸清 である。
二人は、この熊代繁里の門人であったようである。
五味家の方は、九里のお墓を守って下さっていたそうである。ありがたく思っている。