九里 【九里】を探して三千里

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和歌山の九里氏に地理的に近い佐野氏(新宮) 紀伊国牟婁郡佐野庄・佐野成俊の年代は?

2024-12-17 | 九里バラバラ情報






上記の姓氏家系大辞典の37の項によると佐野有綱の六男廣高の曾孫あたりに1194年があったということだろうか。

1194年い熊野に移った佐野氏という事は、成俊は1200年生まれと思っていたが、もっともっと前の年代に生まれたはずである。

そこで佐野有綱を調べると、1186年に老体で‥‥とある。
という事は、1100年代初めに生まれているのではないだろうか?
更にwikipediaの佐野氏の系図には、以下のように有綱と成俊が兄弟として載っている。
成俊の娘が基綱の妻となり、基綱は婿養子となっているようである。



下記の系図は田原族譜からのものだが、こちらでは成俊の息に有綱となっている。しかも享年十九



尊長の娘の息忠廣とは、年が全く違うようで、何が本当なのだろう。

田原族譜を見ると成俊の註に「実園田成実子」とある。
園田成実とは…

足利太郎成綱・家綱の弟であった。園田小倉氏祖。


何処にも近江国の佐々木氏との接点は書かれていないので、たぶん別人と思われる。

が、此の【佐野】というキーワードはかなり秀郷流の中でも九里氏に近いかもしれない。今までは、小山氏と思って調べていたが、九里龍作は新宮生まれである。

しかし、龍作は実は高須氏である。
其の祖は、大江氏だ。
だが、何度か高須氏の中に九里の娘が嫁いでいる。

九里には、本宮の前房の僧が居たり、熊野には深いご縁があった。
御師になっていた者もいた。



この本に高須氏と九里氏が登場していた。
高須富雄 九里幸清 である。
二人は、この熊代繁里の門人であったようである。





五味家の方は、九里のお墓を守って下さっていたそうである。ありがたく思っている。
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