昨日から行方の片岡常春の周辺を調べているのだが、
片岡氏は源頼義の時代永承6年(1051年)片岡常憲‥‥と出てくる。
さらに承保三年(1076年)に海上郡佐貫城主片岡常明…
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この片岡、江州中原氏系図の中原経憲のことかもしれない?
なぜなら千葉氏の祖ともいえる「平常長」の母親が中原氏からであろうこと、そこに天女の伝説があり、近江国伊香郡余呉の伝説と似ていること。
1028年 中原成行は平直方、次いで源頼信に従って出陣・・・という説も多賀氏の本にあった。
江州中原氏 成行の兄弟が経行(経憲)で九里に続く系である。(近江国御家人井口中原系図では経行)
大和北葛城郡史にあった系図は正しかったのかもしれない。
源頼義に追随している【為利】の記載がある。
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もしかして、この片岡氏と伊香郡の片岡という地名と関係があるのかもしれない??
大中臣とのつながりが良く分からなくなってきた。
もう一件気になっている部分。
千葉胤正の息 成胤の母は上総介広常の娘
成胤の妻は千葉尼聖光
千葉尼聖光の娘に播磨局了阿
播磨局了阿は結城朝光の妻
成胤の妻は千葉尼聖光
千葉尼聖光の娘に播磨局了阿
播磨局了阿は結城朝光の妻
この中の千葉尼聖光の父が行方景幹(結城市史 第4巻 古代中世通史)であったこと。
行方景幹・鹿島政幹は常陸吉田氏の流れを継いでいる桓武平氏国香流大掾氏(鹿島氏) であるようだ。
その流れと関係しそうな【海上庄司常幹】の息に片岡常春が書かれていること。
佐貫城主でありながら、海上氏の息となるだろうか???
この辺り、もう少し資料を探してみたい。