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『鹿島神宮は宮司・禰宜・祝・物忌各一名の定員で、六年毎に、朝廷より補任された』
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鎌子(中臣鎌足)と父の長子御食子とともに神官で鹿島宮司 とある。
中臣・大中臣・片岡の三氏が宮司となっていたそうだ。
ここにも、義経の家臣となっていた片岡のことや、親鸞の弟子となった片岡氏に触れられている。
片岡八郎とは経春のことと思われる。
父が八郎であったため太郎ではなく八郎を称していたと、何かの本に書かれていたと思う。
下記は日本城郭全集
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神社関係の方々の中では、片岡経春も宮司家の片岡氏という認識なのだ。
ここまで、片岡氏を調べてきて、経久(1175年生まれ)も見つけて、だが、此処で暗雲が垂れ込めている。
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暗雲…真実に近づいているのなら、それもやむなし。
私なりに可能性を探りつつの実況中継のブログなので、どのような「えっ、まさか?」も飲み込み、考え直さなくては…と思う。
その過程を書き続けることで、間違いの箇所も見つかるだろうと思う。
そのためのブログ!と思っている。
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次回に書こうと思うが、中原経久の息である中原経重が伊勢守になっていたのを見つけたのだ。
これが、とんでもない波乱となりそうで、
まぁ、一から考え直そう!と、やっと思い始めることができた。