一人目の因幡守の候補が「藤原親実の息親氏」であった。
そして1240年に因幡守が変わる。
仁治元年閏一〇月二八日には橘業朝が因幡守に補任された。
同二年正月八日に知行国主としてみえる堀川具実のもとでの国守であろう。
業朝は貞永元年閏九月に二二社奉幣使が派遣された際には日吉社に派遣されている。
(下記のアドレスの記事よりです。参考にしています。)
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九里の祖である蓮忍、九里氏の祖の一代前の経任が中原氏から橘氏に改めていた。
その橘氏と関係があるのかもしれない。
http://www.megaegg.ne.jp/~koewokiku/burogu1/1019.html
上記の記事にあるように、橘業朝とさらにその上に因幡国主堀川具実がいるようである。
『堀川具実』の父は堀川通具であり、祖父は源通親である。
通親の猶子には証空(1177-1247)、そして大江親広(?-1242)- 大江広元嫡男がいる。
橘業朝について行った九里蓮忍入道だったのかもしれないし、藤原親氏のころから因幡国にいて、在庁官人としてそのまま橘氏に変わっても事務方としてそこにとどまっていたのかもしれない。
この系の橘氏は大江氏の養子となったりと、つながりがある。
橘親長ー業長ー業朝ー…
父の慰霊のも関係しそうなので気になる一族なのです。