中原中三兼遠の息、樋口次郎兼光、今井四郎兼平、落合五郎兼行は、皆な義仲に臣事する。
兼平の妹は巴御前である。
落合兼行は甥であるそうだ。
讃岐文学より
中原兼遠の斎藤実盛に寄す友情は大きく深かった、この人実盛が名残りを惜しまれて木曾を辞したのは、三月…
「樋ロ二郎兼光と名付け申した、実は御願いが御座って、この兼光を雪になる頃まで使って下さらぬか、時折兵法なり文章なり教え下されい、従者二、三も」「お、、承知致した、喜んでお預り申す、呑気な実盛の宫仕えで御座るからな」兼遠は絶えず木曾の若者を ...
もしも、このやり取りが真実と近ければ、兼光は斎藤実盛(平維盛に仕えていた)の許にいたということになる。(京)
今日は、覚明・中原康定・中原基兼と時代の勉強。
未だ書けそうにないです。
行家が紀州名草に逃げた~と言う一文をみつけた!
姉婿を…とあったのは、熊野別当行範のこと!