九里 【九里】を探して三千里

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井口氏 赤松氏流 他

2016-09-22 | 井口氏 バラバラ情報
井口氏には、
1.利仁流藤原姓(越中)
2.能登の井口氏
3.江州中原氏流
4.佐々木氏流
5.土岐氏流
6.若狭の井口氏
7.参河の井口氏
8.遠江の井口氏
9.甲斐の井口氏
10.相模の井口氏
11. 武蔵の井口氏
12. 丹波の井口氏
13. 紀伊の井口氏
14. 播磨の井口氏
15. 赤松氏流
16. 藤原姓
17. 其の他(大舘日記に井口清右衛門、石田三成の家臣に井口清左衛門、越後魚沼郡に井口氏、佐州役人帳井口氏・清和源氏に収め、徳川時代龍野脇坂藩重臣、大州加藤藩側用人、秋田佐竹範用人、に此の氏あり。また信濃にも存す。)

姓氏家系大辞典より

その15.赤松氏流 が気になったので、ここにメモを残しておく。
美作国吉野郡赤田村井口上の山塀高城(大野城)中興城主井口長兵衛貞詮と云ふ。新免家記によれば、長兵衛は新免伊賀守宗實の一族にして、赤松左馬助頼則の二男なり。


「新免家譜」によると、その祖は藤原北家徳大寺実季に出ている。実季は『諸家知譜拙記』に「権中納言正二位、元亨二年(1322)正月十七日死去、三十」とあり。『公卿補任』でも同じである。「家譜」はその子大納言に注して「建武年中、後醍醐天皇の勅勘を蒙り、作州粟井庄に左遷、武家より御所を作りて、垣内御所と号す。云々」などとあるが、これは少々怪しいものである。大納言の子則重のとき、勅免を得て新免氏と号し、その初代となったとする。また、将軍義詮から粟井庄・広山庄・吉野庄を賜ったという。この則重の嫡子が長重で次男が助隆で、ともに赤松方の有力な部将であった。(web武家家伝より)

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sinmen.html

この徳大寺は、またまただが、西園寺通季の弟の系なる。

浅井氏は、二男三条実行の末裔となり、(母:藤原基貞女)
九里氏は、三男通季の末裔となる。(…のではないか?)
(母:藤原光子(藤原隆方女) - 堀河、鳥羽天皇の乳母 )
新免氏は、四男実能の末裔(徳大寺)となる。

公実の妹に藤原苡子(1076-1103) - 堀河天皇女御、鳥羽天皇の母がいる。



ともかく、九里が足利義澄を匿っている際に水茎岡山城にて生まれた息(亀王丸=義晴)を赤松氏に預けることになるのだが、そこに関係してくるようにも思える。

「亀王丸は播磨守護・赤松義村の庇護下で養育された。」とwikipediaにもある。

赤松義村と新免氏とは一族の中では近くはないのかもしれないが、赤松氏の一族の中に井口氏・新免氏・徳大寺氏がいることが、気になる。




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1 コメント

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Unknown (りひと)
2020-05-18 10:36:58
宮本武蔵て小次郎派なので苦手なんですけど、ここぞって思う場所に宮本武蔵の影あるんですよね。
そんなんで新免氏探索中です。赤松さんはかなり苦手に思うんですけど、歴史の中には相当トリックがあるんで苦手な中に多分虎子はいるんだろうと探ってます。
文化継承の形は言葉や文書ではない型や振る舞い精神の中に通じる物があり継承されているならば良いんですよね。

でちょうど麒麟がくるで自覚した足利の将軍さんとの縁なんですけど義昭前で朽木あたりに縁がある方となんか縁ありそうですね!ドンピシャです。

9年前にインフルの確定判断で闘ったのは宮本さん、結果陽性が分かりその後の拡大をどうにか切り抜けられた経験がありますが医師は確定判断後であればすんなり和解ありがたかったんですよね。症状とかもその患者を日頃と変化で分かるのは患者だけなんでコロナでも活かせると思います。根拠のない検査で症状の強弱ではなくあるかないか?でターゲットが多めになると地方での流行も防げるはずですもん。

朽木って洞窟ないですかね?そこも調べてみますね。
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