兎上(うなかみ)から始まって治水の王と言われている「兎王」に至っている。
この方は、治水とい考えを日本にもたらしてくれた。(多分書物で…?)
井口氏はその弟子だったのではないだろうか?と想像する。
王敏(オウ ビン)氏による「兎王」の説明
https://spc.jst.go.jp/experiences/change/change_2009.html
「兎王」と日本の関りについての記事
https://withnews.jp/article/f0170414003qq000000000000000W02310601qq000014908A
【「禹王」は紀年前2000年ごろの人物で、神話や伝説に近い存在です。洪水に見舞われた土地で、「塞ぐ」のではなく、「疎通」という手法を取り入れたと言われています。】とある。
【禹王の精神に啓発され、皇室は奮起して民を率い治水に力を注いだ。1500年前、今日の福井県にある九頭竜川が氾濫し災害にみまわれたが、応神天皇の子孫が民を率いて治水に成功し、民の尊敬を集め第26代天皇に推挙されたと言われている。それがすなわち後に継体天皇(西暦450年~531年)と呼ばれる人物であり、その功績を記念して九頭竜川を見渡せる山頂に継体天皇を祀る廟が建立され、天皇と禹王をたたえる石碑が建てられた。それ以来、禹王が一層皇室と関連づけられるようになったのであろう。】
紀元前2000年は、ちょっと古すぎかもしれないが、疎水の手法はお世話になっていますね。
【日中両国であがめられた偉人「禹王」。史跡が多いのは「暴れ川」と言われた川の周辺です。】
まさに高時川の近くの井口氏!
【儒学の経典「四書五経」の中には31カ所もの禹王についての言及があり、その勤勉さと叡智、治水偉業の数々に、日本の皇室は崇敬の念を抱いた。712年に日本で編纂された『古事記』や、720年の『日本書紀』などの古典でも禹王は天皇に並び称されている。】
コトバンクより
中国、夏(か)王朝の始祖とされる人物。中国に大洪水が起こったとき、鯀(こん)の失敗の後を受けて、その子の禹が治水に成功し、その功によって帝舜(しゅん)から天子の位を譲られた、と『史記』夏本紀などは伝える。『尚書(しょうしょ)』(書経)禹貢篇(うこうへん)には、禹が中国全土を9州に分け、それぞれの土地に適した貢納品を定めたという記事があるが、これは後世戦国時代ごろの状況を禹の時代に仮託したものであろう。堯(ぎょう)から舜へ、舜から禹へと天子の位が禅譲(ぜんじょう)されたという説話も、このころできあがったらしい。戦国初期の墨子(ぼくし)は、家族を顧みず治水に奔走した禹の勤勉さや質素な生活態度に、深い敬意を払っており、現在でも中国各地に禹の治水伝説にまつわる場所が存在している。
[小倉芳彦]
中国古代、夏王朝の始祖とされる伝説上の帝王。姓は姒、名を文命ともいう。父鯀の業を継いで治水に成功。舜から帝位を譲られた。夏禹。→洪範九疇
「書経」の洪範編に述べられた政治道徳の九原則。五行・五事・八政・五紀・皇極・三徳・稽疑・庶徴・五福の九つ。
五行 ↓
水は潤下(じゆんか)(ものを潤して低きにつく),火は炎上(燃えて上にあがる),木は曲直(曲がりまたまっすぐになる),金は従革(自由に変形する),土は稼穡(かしよく)(種まきととりいれ)と説明している。
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この兎上「うなかみ」が「比売陀君の祖」という事は、祖は中国から来た人物であったか、または、治水を伝授した人であったか。
更に、同じ伊香郡にある「蹴 裂 伝 説」
こちらも治水関係で、ネパールの伝説にもあるそうなのだが「剣で山を断ち切り水を流し出したことによって人間が住めるようになった」
同じ本の中に「兎王」のことも言及されている。
「鉄器を用いての開墾開拓を暗示している」という説もあるそうである。
石母田正著作には「蹴裂伝説というのは、ある神が渓谷や湖沼の一方を蹴裂き、もしくは切開いて悪水を流出させることを説いた伝説」とある。
【諏訪神社七つの謎】皆神山 すさ 著
この伝説が多氏にも関係があることも示唆されている!!
多氏は秦氏・安曇氏・飯富氏とつながっているそうである。(これから詳しく読んでいこうと思う。)
実在と言う根拠も無いが、架空と言う根拠も無い?
継体天皇の実在も証明される物は無いが、わりと存在は信じられている。
この辺が、歴史学者を信じられなところです😉
今、秋田青森に線状降水帯がいます。
伊勢湾にいる台風が気がかりですね🌧️
夕立は少し涼しく風渡る
禹は、ウサギ神社⛩🐇?を思い出してしまいます。三尾神社ですね!
しかも三尾神社の周辺にある三井寺の三井は、紀三井寺とも関係あるのでしょうか??
さっぱり判りませんが、
近江と紀伊、そして疎水、井口、紀氏、
何かのヒントになりそうで、注目しています。