中原氏のしっぽを見つけた!かも?
和田常盛の息(義盛の孫)である「和田朝盛」と朋友であった「中原仲康」である。
さらに、この仲康は「三善仲康」としても記載がある。
そしてさらに、中原兼遠が中原頼季と名乗っていたという説もあるようだ。
その頼季の息が鹿の谷の変で鬼界ヶ島に配流された平判官康頼(またの名を中原康頼)だという。
同じく、(信濃権守)中原頼季の息「仲康」である。つまりは兄弟「康頼」「仲康」となるのだろうか。
頼成-頼季-康頼の親子関係は『姓氏分脈』三十 中原姓(静嘉堂文庫蔵)による。とwikipediaにあった。
確か巴御前は和田義盛の妻という説があったが、これは知人の娘なので預かったという事だったのではないだろうか。
けど巴御前も出てくるんですね。超嬉しい。
あと喜界島とは違うのかなぁ?沖縄のこの島出身の方に出会った事はあったんでちょっと気になりました。
鹿ヶ谷も調べてみます。