「御上」「三上」というワードについて調べていこう。
【近江】の本の第六節に野洲郡の記載があり、そこに出てくるキーワードを調べてみる。
古事記 開化段
又、近淡海(ちかつあふみ)之(の)御上祝(みかみのはふり)を以(もちゐ)て伊都玖(いつく)【此の三字音を以ゐる。】天之御影神(あめのみかげのかみ)之女(むすめ)息長(おきなが)の水依比売(みづよりひめ)を娶せ、
生れましし子(みこ)丹波(たには)の比古多多須美知能宇斯王(ひこたたすみちのうしのみこ)【此の王(みこ)の名、音を以ゐる。】
http://himiko-y.com/scrp1/kojiki-23.html
古事記をそのまま読む さんのページに以上のようにあった。
息長が神功皇后に至るまでの系図は以下に詳しかった。
ここのページは私が行ってみたいなぁ~と思っている神社や場所が写真で載っているので感謝デス。
https://ameblo.jp/masoho39/entry-12109750267.html
memo
宇美八幡宮 品陀和氣命/誉田別命 誕生の場所 応神天皇
当宮に伝わる「伝子孫書」によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途に応神天皇を産んだとされる地に、敏達天皇3年(574年)、応神天皇を祀ったことに始まるとされる。
平子氏…記憶が。
平子・仁保氏・石川氏 この仲には経久という名も経季という名も見えた。
しかも仁保は、近江に所領も持っていたような記憶が…ここと三上氏とつながってくるのだろうか?
「鎌倉御家人 平子氏の西遷・北遷」の展示会が過去にあったようである。(2003年)
鎌倉時代になると、関東武士の中には、守護・地頭として全国各地に赴くものが出てきます。彼らを西遷・北遷武士などと呼んでいます。平子氏もその一つで、武蔵国久良岐郡平子郷(横浜市中・南・磯子区付近)を本拠地とし、周防国(山口県)や越後国(新潟県)の地頭として赴いています。やがて土着した彼らは、大内氏や上杉氏などの有力な家臣となり、中世を生き抜きます。
後鳥羽院に鎌倉の情報を流していたのは、中原親能ですね😃どこからその情報をと平賀朝雅が驚いた時に、うろたえていたので。
牧の方暗殺しようとした時に、伊賀の方が来て、その後義村が来る。この3人がキーパーソンとなって、義時を毒殺?と言う最終回では?と。
2度目だと色々細かい部分を見えます。
この大河ドラマが始まる前は、坂東武者と言えば、斎藤実盛と熊谷直実しか知らなかったのですが、お陰でだいぶ覚えました。
うろ覚え露の付いたる花は何
親能は、東国の味方のはず!と、思うのです。
それとも二重スパイ🕵️♀️🕵️か?
波多野氏の許で育ち、頼朝の仲間だったはず、と、思います。