今まで、九里に関する歴史ブログ記事を読んでくださった方々、ありがとうございました。
何度も、もうそろそろ辞めて、、、と思いましたが、そんな時に必ず重要なコメントが入り、そちらに夢中になりまた戻る、の繰り返しでした。
今度は私の父を我が家に迎え、新たな生活に突入します。
どこまで頑張れるかわかりません。三日で嫌になるかも知れません。
でも、いま私が頑張る事で、父の妻[継母]、父の弟、父の息子、私の家族が、父と語らい、父と顔を合わせる事ができます。
一番は、私自身が顔も合わす事なく別れが来てしまっては後悔が残ると言う理由からですが、、、それに我が家族も巻き込む事となるわけで、どうなるか??心配でもあります。
今スマホで記事を書いています。
これなら父の横に居ながらできる!と思いますので、私も復習しつつ続けたいです。
が、介護と言う新しい世界の事、父の事も書いていこうと思います。
なんと言っても、父は九里家の裔でもあるので、繋がっています!
その選択にはもちろんどこの時期を切り取るかによっても判断の評価は違うと思います。なのでその評価に今現在から先を気にしていたら結構惑わされる事って多いとも思います。
ただ思うのは主観的にみても客観的にみても実は評価は同じく素晴らしいと思う事だけは出来るだけチャレンジしてから判断してみても良いのではないかな?と思います。誰がみても素敵な事、想いがあり覚悟が伴う事には相手にもきっと自分にもそしてそれをみている周りの方にも変化が起こるはずです。
父の看病の時間の使い方は本当後悔があります。
もちろん時間はあったはずなんですよね。けど話せなかった。祖母の話ももっといっぱい聞きたかったと言うのが今の後悔。なので今聞けなくなってから好きだった場所や出会った地などを辿るようで、実は個人的には性格に合っていない事しているなあとも思うんですよ。何事もダイレクトに聴いちゃうタイプなので。つまり現在、方法がそれしかない状態での方法です。
まずは自分で出来るか?と周りからに協力を得られるか?そこを優先に考えているならば、父の時代からすると地域医療の連携も相当進化してきている可能性はあります。
ちょうどお彼岸に時期でコロナで父のお墓参りも行けずその他行きたい場所がまだ二つ三つあるのですが、久々に近場には行けたんですよね。コロナでも思うんですけど一緒に暮らしていたってお互い忙しく生活しているとお互いに協力したり同じ目的で動く事もなくそれぞれ同じ家で生活するのみだった今までに気づきましたからね。ずっと一緒にいる事での大変さは通り過ぎて今は同志としてコロナとか今の環境と闘っているようにも思っています。毎日イベントがあるわけでもなく、発見や刺激がない普通の毎日も結構アリかも?と思い始めました。
今同じようにみんなが考えている時期でありそれに合わせて色んな変更をしている方も少なくないと思います。
色々心配をクリアする為には、知恵と協力以外では無理だとも思います。そして人は変わらないので自分が変わった方が早い時もあります。ただ言えるのは、人を変える唯一の方法もやはり人の行動や想いによるものしか無いとも思います。
人間の身体は不思議なもので、同じ薬でもやはりその人その環境などその後起こる事も違うんのも学んでしまったのでよりいい環境や人の恵まれたら変化や改善が早い可能性もありますよ。より良いと思える事をリスクもちゃんと考えてやる事は素敵な事です。
今日が終わっちゃうのでここまでにしますが、方法や知恵も変化が起きています。いいアイデアがあれば、気分転換にしてみて下さいね。
止まった時に見晴らしが良くなる事もありますのでマイペースでいいと思いますよ。応援はずっとしております。
私も母の時は、母の好きだった仏像巡りのようなことをしました。
それが、人生初の一人旅でもあったのですが、いまだに薄暗い空間に眼が慣れて、仏像が浮かび上がる瞬間を思い出します。
母とは仏像の話をしたこともなかったのですが、なぜか仏像が母との繋がる媒体となっていたようなのです。