佐々木高綱の系図に見慣れぬ名前があった「富永高勝」である。
宇多源氏系図3.
http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/genji_another/genji_uda/genji_uda3.html
今まで調べていないので、富永氏を調べてみる。
が、もしかすると身近な「中原景経の伊香郡富永荘」の富永なのではないだろうか?
【九里の祖】一代前の兄弟。兄・中原景経は判官を広橋経光に推薦されている文書が残っており(1244年)、その後富永庄・鐘の銘に名前が残っている。(富永荘 御鎮守新日吉神社 文永五年(1268年))
とすれば、高綱の息が富永氏に養子に入っていたのかもしれない。逆かもしれない。富永高勝が高綱の養子となったとも思える。ともかく近い関係となったとなれば、
中原景経
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c1/26e23e0ac9d3a5a7b1f8d3deedce9925.jpg)
こことつながると、全てが繋がる!
想像だが、
高綱の養子となった富永高勝(中原と考え…)。その周辺にいた「中原経任・経久=蓮忍入道」が高綱因幡国守護となった際に、その右腕となるべく因幡国へ派遣される。
そして富木郷にいた富木氏が東国の千葉氏の被官として東国へ。…となるのではないだろうか。
七か国もの守護となり、どうしても一人では手が足りなかったはず。佐々木哲学校のブログによると、
【文治元年(1185)守護地頭の設置では長門守護。『尊卑分脈』では因幡・伯耆・出雲・備前・安芸・周防・日向等の守護になったとも伝えます。】