諸家系図纂要の正宗寺とは【久慈郡増井村正宗寺】のことのようである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%B0%8F
常陸佐藤氏は久慈郡増井村正宗寺に佐藤系図が所蔵されるという。常陸太田城主の家系に藤原千常を祖とする、佐藤氏があった。佐藤氏郷の代に、常陸源氏の佐竹昌義の侵攻を受け、太田城を追われた。ただし、子孫は族滅を免れ、久慈郡下野宮をはじめ郡内に土着する。また、東鑑によれば建暦年間、佐藤光季という者が常陸国に所領を得たとある。さらに、新編国史には多珂郡宮田村に、永禄(1558年から1570年)、天正(1573年から1592年)の頃、佐藤壱岐という武将がおり、藤原氏の流れで佐竹氏の重臣小野崎義昌に仕えて武功があったとされる。家紋は丸に上がり藤、丸に梅鉢、源氏車、扇に源氏車、六桁源氏車、丸に三つ柏、丸に釘抜き、丸に剣花菱、丸に州浜、丸に橘、丸に蔦、丸に八桁水車、丸に三つ引、丸に抱き茗荷、丸に木瓜、丸に四つ目。
http://www.sato3.jp/kamon/name.html
正宗寺(しょうじゅうじ)
萬秀山正法院と号する寺院で,延長元(923)年に平将門の父良将が創建。
創建当初は勝楽寺と号し,律宗で奉仕されていました。その後,貞王2(1223)に佐竹氏4代秀義が勝楽寺の境内に正法院を,暦応4(1341)年に9代貞義の子である月山周枢が師の夢窓疎石を招き,同じ寺院内に正宗庵を創建。10代義篤が正宗庵を臨済禅刹に改めて正宗寺としました。
勝楽寺と正法寺は後の争乱によって衰えたが,正宗寺は佐竹氏の菩提所として,関東十刹の一つに挙げられるまでに繁栄。徳川の時代にも朱印100石を受け,12の末寺を有するまでになりました。境内は約5,300平方メートル,堂宇は本堂,庫裏,総門などを備えていたが,天保9(1838)年に総門の一部を残して焼失。現在の庫裏と本堂は,それぞれ天保10(1839)年と明治3(1870)年に再建されたものです。
寺伝では慈覚大師の作とあるが,様式から鎌倉時代に建造されたものとみられます。本尊の木造十一面観音菩薩坐像をはじめ,多くの寺宝が茨城県や常陸太田市の文化財に指定されており,境内には佐竹氏代々の墓と伝えられる宝篋印塔や,「助さん」のモデルとされる佐々宗淳の墓があります。
…太字の部分は、九里氏と関係がある。
コメントありがとうございます。
私は、素人のため、詳しいことは分かりかねますが、
以下のWikipediaの記事内に書かれている事をヒントに、光季、氏郷、本人のことはわからなくても、周囲から調べてみてはいかがでしょう。たとえば、佐竹昌義、大田荘、、、など、切り口は無数にありそうです。
また、わたしが良く使うのは、
東京大学史料編纂所のデータベースです。
佐藤氏 系図
佐藤 家譜
佐藤家 系譜
など、検索ワードを変えてみると良いかと思います。
中で出てくる系図は正しいとは限りませんが、丁寧にみていくとヒントがあるかもしれません。
佐藤光季、氏郷、私も今記事にしたい事が済んだら、調べてみますね。
https://www.yoritomo-japan.com/ikusa/jyokyunoran-mitusue.html
短い記事にしてあります。
佐藤氏郷はどのくらいの時代の方なのか、何かヒントがあると嬉しいですね。
戦国時代ですと蒲生氏郷になります。
藤原秀郷流の出と言われています。
が、宇都宮氏の出ともweb上にあったように思います。
話は変わってこれは勝手な妄想なのですが、私は宇都宮出身で宇都宮育ちなんですよ。宇都宮氏(藤原氏)と深い縁のある二荒山神社はよく通っていましたし学校帰りや塾で疲れた時に散歩で友達とよく行っていました。さらに藤原秀郷が平将門を沈めるために二荒山神社で霊剣を賜り鎮めました。さらに彼が栃木県庁の前でも百目鬼という妖怪を倒したことから百目鬼通りというがあります。
伊賀光季の父と私の父の読み方も同じですし、私が無意識に小学生の頃から剣道を始めたり二荒山神社で剣道大会に出場したのもなにか深い深い縁を感じるんですよね。なにか宗教じみた思想で申し訳ないですが私は"縁"とか"運命"ってあると思うんですよね。なのでかなり藤原秀郷は気になってました。バカバカしくてすみませんw
確か、婚姻関係があったはずです。
波多野義通の妻にも「宇都宮宗綱の娘」がいて、波多野も秀郷流で佐藤氏と近いデス。
深い深いご縁は、私も感じることがあります。過去から現代にまでつながっているんだな~と思う事もあります。
不思議なことと思います。
佐藤氏のことが何かわかった時にはまた記事にしますね。
佐藤氏郷という方がどのあたりにいらっしゃる方なのか分かりませんし、実在の方かどうかも存じ上げないため、いいかげんですが、
googlebooksに「佐藤氏郷」と入れてみますと、蒲生氏郷ト佐藤氏の接点は見えてきます。
蒲生氏郷のことにも詳しくないので、スミマセン。
じっくりと調べてこないと見えてこないかもしれません。
私の先祖「九里」も何年調べ続けていてもさっぱりと判らないように、判らないことの方が多いものです。
資料に残っている方はごくごく一部!と思います。